鄙乃里

地域から見た日本古代史

湯の町エレジー

気まぐれ随想録『赤とんぼ』 湯の町エレジー 昭和で好きな懐メロにもいろいろあるが、歳のせいか、最近は「湯の町エレジー」をよく聴いている。有名な古賀メロディーで、多くの歌手がカバーしている。 若いころ少しギターを触ったのでなつかしさのせいもある…

もう一度見直そう倭国伝 ~志賀島の金印と倭奴国~

今回も前回の続きなので、分かりやすいように同じ史料を先に載せておきます。 ① 建武中元二年(57年)、倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜 以印綬。[『後漢書』]② 安帝永初元年(107年)、倭國王帥升等献生口百六十人、願請見。 [『後漢…

もう一度見直そう倭国伝 ~倭國王帥升等の朝貢から卑弥呼の共立へ~

弥生時代後期から古墳時代の初め(2世紀~3世紀中頃)にかけての日本の姿を記した文献史料はわずかですが、中国の国史の中に登場します。 一般に「倭人伝」「倭国伝」「倭伝」などと呼ばれるこれらの史料のうち、とくに後漢と三国時代の文書は倭国や邪馬台…

昨日はひな祭りだった

気まぐれ随想録『赤とんぼ』 昨日はひな祭りだった 以前、金曜日のチコちゃんの中で、「うれしいひなまつり」の詩をサトウハチローが間違えたらしいことを話していた。 二番の「お内裏様と おひな様/二人ならんで すまし顔」のところだ。 たしかに内裏とは…

とんだ節分

気まぐれ随想録『赤とんぼ』 とんだ節分 朝知り合いから頂いた恵方巻を昼に食べた。恵方巻は切らない方がいいらしいが、とても全部など食べきれるものではない。半分に切って昼と夜に頂いた。恵方巻はいつから流行しだしたのか。20年ぐらい前までは食べた記…

寒さ嫌い

気まぐれ随想録『赤とんぼ』 寒さ嫌い 冬生まれなのに寒さが嫌いだ。 冬になると窓から陽が差し込まなくなる。暗くて寒いので、西側の部屋へ移る。 こちらは午後になると窓に少しは陽が当たって明るい。必要なときは両足が入るスリッパに足を突っ込み、電気…

今治市朝倉地区の神社と遺跡

朝倉の神社と遺跡 今治市朝倉は古い神社や遺跡の多いところです。伊予国府に近い場所に集落があるからかもしれません。規模が小さくても何か由緒のありそうな神社や遺跡ばかりですが、細かい歴史まではよく分かっていないようで、いまだに謎が多いところです…

西条の柳原白蓮

柳原白蓮の歌 いにしへの城の跡ぞと教へられあふぐふもとに きりのただよふ もう数年前になるが、NHKの『花子とアン』に柳原白蓮女史(葉山蓮子=仲間由紀恵さん)が登場していた。それを見て思い出したのがこの歌だった。 この短歌は『西条市誌』を編纂され…

一柳氏

《 目 次 》 1.一柳宣高 2.一柳直高 3.一柳直末 4.一柳直盛 5.一柳直重 6.一柳直興 7.その他の一柳氏(直家、直頼、直照) 8.一柳直照の母に関する二つの疑問 ランキング参加中歴史

西条の高浜虚子

高浜虚子の句碑 惟(おもんみ)る 御生涯や 萩の露 西条市飯岡(いいおか)半田山の麓にある室山義通寺(むろざんぎつうじ)は王至森寺(おしもりじ)の末寺で、一般に秋都庵(しゅうとあん)の名で知られている小さな寺である。 室山義通寺 境内の南西端に…

一柳直照の母に関する二つの疑問

一柳直照(半弥)の母は『寛政重脩諸家譜』には直重正室で直興と同母の「菊亭大納言公矩の女」とある。が『一柳家史紀要』には直重側室の「長養院殿菊源景廣大姉」と記されている。 しかし、この点に関していえば、自分は、後説のほうに疑問を感じる。古くか…

その他の一柳氏(直家、直頼、直照)

一柳直盛の子は6人いたことになっているが、跡を継いで大名になったのは嫡男直重、二男直家、三男直頼の三名である。嫡男の直重は先述の通り3万石で伊豫西條藩主になっている。 一柳直家(ひとつやなぎなおいえ) 次の二男・一柳直家は、自らの知行分であ…

伊豫西條藩の一柳氏 ⑥ 直興

一柳直興(ひとつやなぎなおおき) 伊豫西條藩三代藩主 一柳直興は二代藩主・直重の嫡男で、從五位下監物、通称は左近。 寛永元年(1624年)伊勢神戸に生まれる。12、3歳のころ父とともに西條に移動。父直重の藩政時代には弟の直照とともに大町あたりに居所が…

伊豫西條藩の一柳氏 ⑤ 直重

一柳直重(ひとつやなぎなおしげ)二代伊豫西條藩主 一柳直重は直盛の嫡男である。慶長3年(1598年)山城国伏見で生まれ、のち伊豫西條藩二代藩主(1636-1645)。従五位下丹後守、通称は入道。 慶長14年(1609年)12歳で従五位下丹後守に叙任。駿府に家康、…

伊豫西條藩の一柳氏 ④ 直盛

一柳直盛(ひとつやなぎなおもり) 初代伊豫西條藩主 一柳直盛は一柳直高の二男で、直末の弟。永禄7年(1564)美濃国渥美郡で生まれる。四郎右衛門、監物。 羽柴秀吉の播磨三木城攻めのあと呼ばれて兄直末の被官となり、兄と戦場で行動をともにしたが、天正…

伊豫西條藩の一柳氏 ③ 直末

一柳直末(ひとつやなぎなおすえ) 一柳直末は直高の男子。美濃国厚田郡西野村(又は今泉村)の生まれで、市助、のち伊豆守と称される。豪勇にして果敢な人だったらしい。 一柳宣高・・・・・・・・直高・・・・・・・・・・・・直末(伊豆守)・・・・・・・・・・・松千代 南化和尚 女子(…

伊豫西條藩の一柳氏 ② 直高

一柳直高(ひとつやなぎなおたか) 初代一柳宣高(のぶたか)の子を直高という。室は稲葉一鉄の姉の娘。直高の事績は『寛政重脩諸家譜』には、とくに記されていない。「又右衛門、天正8年7月2日死去」とあるだけ。 その他の史料によると、天文11年(1542…

伊豫西條藩の一柳氏 ① 宣高

伊豫西條藩について 伊豫西條藩は、寛文10年(1670)に紀州連枝の松平頼純が入部して以来、約200年間を松平氏が治めて明治に至った。西條の松平氏は小藩ながらも定府大名であったから、その間、御留守居役の家老はもとより奉行・藩士らだけでなく、町役人・…

歌碑と句碑

《 目 次 》 1.西条の五藤美代子 2.西条の山頭火 3.西条の高浜虚子 4.西条の柳原白蓮

西条の山頭火

西条の山頭火 はっきり見えて水底の秋 種田山頭火が西条を訪れたのは、昭和14年10月13日のことだった。 評伝によると、山頭火が四国遍路の旅を思い立って、高橋一洵さんと松山を出立したのが10月7日。21日にはすでに小豆島に到着している。 *その西条まつり…

西条の五島美代子 花かけに~

五島美代子の歌碑 花かけに 父もますかと すかし見ぬ 好みましけむ 大鏡にゑひ 新年の歌会始をテレビで観ることがありますが、どの和歌もなるほどと思えるいい作品ばかりです。 中でも、上皇后(美智子)様の歌にはいつも心を打たれます。日々の暮らしや国民…

どこがどう違う?

《 目 次 》 1.かえでともみじ 2.さつきとつつじ

さつきとつつじ

さつきとつつじ 「さつきとつつじはどこが違うのだろうか?」 それらにさしたる興味がなかった頃、さつきやつつじを見かけてもその違いが分からず、何となく気にはなっていたのですが、特に調べてみようとも思いませんでした。 しかし後年、たまたまつつじに…

かえでともみじ

かえでともみじ 秋の黄紅葉の代表格として美しいカエデとモミジですが、「どこが違うか?」と問われたら、ちょっと返答にとまどうのではないでしょうか。 手もとの本などで調べてみると、カエデもモミジも本来はカエデ科カエデ属の樹木(属名はラテン名Acer…

沈下橋と和紙の町 伊野町

沈下橋と和紙の町 高知県伊野町 伊野町は石鎚山に近い高知県の山間部で仁淀川沿いの町です。西条市から高知市へ抜ける道があります。 グリーンパークほどの(いの町吾北地区) 駐車場 「グリーンパークほどの(程野)」は、伊野町の山間にある自然を生かした…

寺社探訪

《 目 次 》 1.大山祇神社を訪ねて ① 2.大山祇神社を訪ねて ② 3.今治市朝倉地区の神社と遺跡

日本総鎮守・大山祇神社を訪ねて ②

大山祇神社を訪ねて ~続き~ 宝篋印塔(ほうきょういんとう) 鎌倉時代重文の宝篋印塔。一遍上人の奉納と伝えられます。 踊り念仏で知られる一遍上人は河野氏の出(河野通信の孫通秀)。 説明板には一遍上人来島の時の奉納と書かれていますが、向かって左側…

日本総鎮守・大山祇神社を訪ねて ①

日本総鎮守・大山祇神社が鎮座する今治市の大三島は、現在は本四連絡橋今尾ルート(通称:しまなみ海道)で連結されていますが、以前は船で行く必要があったため、大きな神社なのに何年も行ったことがありませんでした。 初めて訪れたのは中学時代の見学旅行…

臨時列車で神話のふる里へ 高千穂町

週末の土曜日に臨時列車「高千穂観光号」が出ていたので、それに乗って宮崎県の高千穂町へ行ってみました。 宮崎県西臼杵郡の高千穂町は神話のふる里として有名なところです。 高千穂観光号 熊本から阿蘇方面へ(準急ひまわり号+高千穂観光号で)向かいます…

奇岩の島とみすゞのふるさと 青海島・仙崎

青海島(おおみじま)は山口県の日本海側にある北長門国定公園の代表的な景勝地です。長門市仙崎の対岸に位置する周囲約30㎞の大きな島で、仙崎からは橋を歩いて渡れます。 長門市仙崎周辺地図 本土側の仙崎(せんざき)は山口県の代表的な漁港で水揚げ量が…