鄙乃里

地域から見た日本古代史

天皇在位年の西暦表示について

  天皇在位年の西暦表示について

 歴史本や辞書などを買うと、天皇在位年の西暦表示が参考のために添えられていることがあります。しかし、そのうち古い時代のものは『日本書紀』の編年をもとに計算されたものですから、当然、実年代とは異なってきます。古い神社の創始の西暦年などにも同じことがいえるでしょう。 

 前方後円陵は倭国(やまとこく)の崇神天皇あたりから始まり、卑弥呼の時代ですから孝元・開化天皇陵もそうかもしれませんが、それ以前は違います。現時点では、前方後円墳の始まりは3世紀中葉かといわれています。

  それを考えると、崇神天皇の在位年が紀元前(BC)になる『日本書紀』の「西暦年」が、実年代と整合しないのは当然でしょう。崇神天皇陵は比定地はともかく、宮内庁指定の前方後円墳が奈良に存在しています。それが紀元前にあったとしたらおかしいでしょう。とくに上古の天皇では在位期間が大幅に延長されていて、神武天皇でも600年ぐらいは過去の人にされてしまっているようです。

  そうした編年が6世紀の任那の逸失や、7世紀の百済滅亡による喪失感から朝鮮半島の経営をあきらめ、独立国家としての方向性に目覚めた当時の政権の方針に関わるものかどうか。とにかく、日本国家と天皇の起源を可能な限り古くしたいとの願望や目的があって『古事記』や『日本書紀』に反映されているものと思います。そのため最初に神武天皇の建国年を辛酉年(紀元前660年)に設定しておいてから、それを起点に、古い天皇の在位年を大幅に延長させたのではないかと思われます。

 はるか昔の天皇の在位年はもとより不明なので、必要があって年数を概算するときには、普通は一代を30年で計算します。しかし、「倭國王帥升等」が孝安天皇とした場合、孝霊天皇と二代で7,80年はありますから、もう少し長くして一代35年としましょう。すると、第6代孝安天皇より前にも五代ありますから、通算でおよそ175年が必要です。そこで孝安天皇の貢献年107年頃から175年を引くとBC70年ぐらいになりますが、神武天皇の即位は年齢的にやや遅かったと思われますから、10年ぐらい少なく見積もるとBC60年ぐらいになります。したがって、もし神武天皇即位の辛酉年が正確なのであれば、BC60年の辛酉年が最も近いかと考えられるでしょう。
 紀元前660年はあり得ない話で、『日本書紀』は、ちょうど干支10還分をプラスしているのではないかと疑われます。そのため上古の天皇の在位年と年齢を大幅に延長せざるを得なかったのでしょう。その調整の影響を受けて、『日本書紀』の天皇の正しい年代回復には、雄略天皇の時代までかかっているようなのです。

  しかしながら、『後漢書』等に書かれている「倭奴国神武天皇欠史八代)」の始まりがそんなに古くないことは、(筆者の推論が間違っていなければ)これまでに説明したとおりです。それは早くても弥生中期後半から弥生後期にかけての期間であり、それに続く3世紀の前方後円墳の出現時期とも合致していると思われます。

 

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