鄙乃里

地域から見た日本古代史

大岡政談とソロモンの知恵

 大岡政談に「子争い」という話があります。誰もが一度は聞いたことがあると思われる有名な話で、筆者も小学生のころに少年雑誌で読んだ覚えがあります。こどもごころにも「なるほど」と感心したものです。

 それは二人の母親が一人の子を自分の子だと言い争って町奉行所に訴え出た話でした。そこで大岡越前は二人にその子を両側から取り合うよう命じました。奪い合いをして勝った方が、その子の母親とするというのです。それで二人は互いに引っ張り合いましたが、子どもはたまりません。「痛い痛い」と言う声を聞いて、片方の母親は思わず手を離してしまい、もう一人の母親の勝ちとなってしまいます。しかし、大岡越前守は勝った母親ではなく、負けた母親の方に子どもを渡しました。勝った母親は「勝った方を母親にすると言われたではないですか」と怒って抗議したところ、「本当の母親なら、自分よりも子どものことを考えるものだ。離した方が母親だ」と言って、その女性をたしなめたという話です。


 これと同様の話が、旧約聖書ソロモン王の話に出てきます。ソロモン王はダビデ王の子で、エルサレムに壮麗な宮殿を建て、多くの財宝や軍隊を所有したイスラエル最盛期の王です。また知恵に勝れ、ソロモンの知恵とも称されています。その名声は西はアフリカ、東はインダス川まで伝わっていたと云われます。
 かなり以前に『ソロモンとシバの女王』という洋画がありましたが、シバの女王との知恵比べも有名です。シバ(シェバ)はイスラエルの南にある国で何処だか分かりませんが、自分らは当時、エチオピアあたりの女王と理解していました。現在はアラビア半島南部との説もあるようです。

 さて、そのソロモン王のところへ二人の女が訴えてきました。二人の女に赤ん坊が生まれましたが、事故で片方の女の赤ん坊が亡くなったのです。そこで、その女はもう一人の女の赤ん坊とこっそりと取り替えておきました。しかし、自分の子でないと気付いたもう一人の女との間で、赤ん坊を奪い合いになったのです。訴えを聞いたソロモン王は、それでは、この子を平等に二つに別けようではないかと云って、剣を持ってくるように命じました。片方の女は「そうしてください」というので実行しようとすると、他方の女は驚いて、「王様止めてください。赤ん坊をその女にやってください」と懇願したのです。そこでソロモン王は「この女が本当の母親だ」と裁いたのでした。

 母親として我が子を絶対に手離したくない、大事なのはみな同じですが、あるところで母親の気持ちが転換した、そこのところをソロモン王は見ていたのだろうと思います。みんなはその知恵に感嘆したということです。

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 大岡政談とまったくよく似た内容ですよね。ソロモン王の話が中国に伝わり、それを江戸時代に講談話風に取り入れたのだという説もあるようです。

 人間のすることや考える壺は洋の東西を問わず案外、共通していますから、実際のところはどうだか分からないのですが、面白い話だと思います。
 もしかしたら、昔から日本国内に
伝わっていたんでしょうかね?


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