鄙乃里

地域から見た日本古代史

大山祇神は女神かもしれない?

 大山祇神は女神かもしれない?

 ある冊子のコラム記事に、大山祇神は『日本書紀』の一文により、女神ではないかと疑われる箇所があるとの話が載っていた。そこで、そんな妙な話があるのかと思って『日本書紀』を覗いてみた。
  なるほど「神代記下」には、以下のように記されている。

時彼国有美人。名曰鹿葦津姫。〈亦名神吾田津姫。亦名木花之開耶姫。〉皇孫問此美人曰。汝誰之女子耶。対曰。妾是天神娶大山祇神所生児也。

ときにこの国に美人がいた。名を鹿葦津姫(かしつひめ)という〈またの名は神吾田津姫。またの名は木花之開耶姫〉。皇孫がその美人に「あなたは誰の子ですか」と問うた。答えて云うには「わたしは、天神が大山祇神と娶ひて生まれた子です」

 この「娶(みあ)ひて」を「女合う」また「娶る(めとる)」とすれば、妻とする意味なので、なるほど、相手は女性になるかもしれない。つまり、記事の通り大山祇神は女性だ。

 しかしよく見ると、この箇所は主語がはっきりしていない。どちらがどちらに対して娶ひてかは、この文章からは即断できない。それに「娶う」が「見合う」「目合う」つまり単に結婚するという意味なら、必ずしも天神の相手が女性とは限らないかもしれない。また「誰それの女(むすめ)」を入れる場合は父親の名を記すのがふつうだから、天神が父親なら「大山祇神の女」ではなく、その天神の名を書けばいいはずだが、そうはなっていない。
 それに、その天神が大山祇神の夫だ、あるいは妻だというのが本当ならば、その天神は誰だということになり、こちらの方が重要である。 

 実際に『日本書紀』でも〈一書第二〉では「妾(わが)父大山祇神」と、父神であることが明記されていて、コラムの記事でも、こちらは男神だと書いている。

 推察するところ『日本書紀』の別の箇所では、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の祖父の高御皇産神(たかみむすびのかみ)が大物主(おおものぬし)に対して「国つ神を妻にするな」と恫喝しているぐらいだから、孫の瓊瓊杵尊に国つ神(地祇)とされる大山祇神の娘と結婚することが許されるはずもない。そこで体裁上、木花之開耶姫の片親を天神にしておいただけの話だろう。おそらく『日本書紀』が山族の神話を取り込むために、このような話を挿入したのであろうと思う。 

 それから同コラムには「古事記』は性別を明らかにしないが…」とも書かれていたが、『古事記』でも、「僕(あ)は得白さじ。僕(あ)が大山津見神ぞ白さむ」と、木花之佐久夜毘売がはっきり答えている。

 

 

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