鄙乃里

地域から見た日本古代史

金印余談

  金印余談

 志賀島の金印の由来や発見時の真相は分からないが、金印そのものについては、おそらく本物ではないかと考える。なぜなら金印の文字は、日本では後漢書などの内容を識っている学者や武士に依頼された彫工でしか彫れないはずの文字だからである。したがって、それが江戸時代あたりの贋作だとしたら、たとえ無理してでも『後漢書』に記されたとおり倭奴国の文字を忠実に彫り込んでおくことだろう。しかし実際には「委」の字であり、それがむしろこの金印の信憑性を高めている。

 

  金印の由来についても、それが後漢書』の印綬だとすれば、
沖ノ島と同様に、渡海の安全を祈って、岩陰の祭祀に使用された。
畿内倭奴国が自然消滅したあとに、分国の奴国へ渡った。
志賀島海神の社に奉納されたものが、何らかの理由で糸島の細石神社に行った。
④ 昔から細石神社に収蔵されていたものを、金印の話を聞いた黒田藩の武士が、彫られた文字を調べてみたいから貸してくれと持ち帰った。藩の学者に見せたところ、「後漢光武帝から授与された印綬に違いない」と教えられ、これはもともと奴国のものだと、黒田藩で相談して、志賀島から発見されたことにしてしまった。

 

 もちろん、後半部分はおもしろく考えた創作にすぎないが、最近の世相や事件を見ていると「現実は小説よりも奇なり」の表現も、もはや珍しいこととは思えない。何があったか分からないのが歴史の現実である。

 

f:id:verdawings:20190616010354j:plain