鄙乃里

地域から見た日本古代史

芙美子の「帰郷」~もう一つのふるさと~

 林芙美子は昭和前期を代表する作家の一人で、47歳で早世したが、多くの作品を世に出している。
 昭和39年度のNHK連続テレビ小説うず潮』は、林芙美子の半生を描いた現在の朝ドラで、女優の林美智子さんの代表作ともなった。
 東宝・芸術座公演では森光子さんが昭和36年から『放浪記』を演じて、2,000回を越えるロングランとなった。
 そのほか映画やドラマでも林芙美子の作品は数多く映像化されている。中でも『放浪記』はよく知られ、広く愛読されている芙美子初期の作品である(『放浪記第三部』は戦後)。

私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。母は九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったというので、鹿児島を追放されて父と落ち着き場所を求めたところは、山口県の下関というところであった。私が生まれたのはその下関の町である。

   芙美子は『放浪記』の冒頭でこのように書いているが、彼女が生まれたのは下関ではなく、門司であったようだ。その当時は自分の誕生時の状況など細かく知っている人は少なかったかもしれないので、「下関」とあるのも、文学上のフィクションというよりも、芙美子自身がはっきりと覚えていなかったせいではないだろうか。

 門司生まれの芙美子の母親はキクさんといった。キクさんの元の旦那は、文中にある伊予の太物の行商人で、名を宮田麻太郎(みやたあさたろう)という。つまり、芙美子の実父であるが、その麻太郎の実家がほかでもない伊予の周桑郡(しゅうそうぐん)吉岡村新町(現在の西条市新町)にあって、当時「扇屋」という雑貨商を営んでいたのである。芙美子の両親が知り合ったのは桜島の温泉宿だった。

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 芙美子の両親は、芙美子が生まれた門司から、下関・若松へ移動し、その若松で事情があって離縁している。母キクと同伴したのは父の雇い人で母より年下の養父
「沢井喜三郎」だった。そのため、8歳の芙美子も二人とともに行商の旅に出ざるをえなくなる。長崎の小学校に通い、北九州の炭鉱町(直方)にいたこともある。それでもようやく落ち着いた尾道の町で、小学校を卒業。尾道市立女学校に通って読書に励んだり、文学の道にいそしみながら暮らしていたのである。


 その市立女学校4年生の一学期に、芙美子は初めて実父麻太郎の郷里、周桑郡吉岡村新町を訪れたようである。実家の祖父が亡くなったための、母キクの代理であったと思われるが、その地を芙美子は「ニユ川」と書いている。「ニユ川」は実際は実家のある新町の近くの町で、彼女が船を下りたところであった。

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 そのニユ川(壬生川)の駅前に、22歳の暮れに芙美子が東京か麻太郎に書き送った手紙の一文が、現在、記念碑になって残されている。

何もかも忘れ

この不幸な私を

父上は

愛して下さるでせう

      芙美子
 父上様

 また、実家近くの佐志久山(さしくやま)にも、芙美子の「帰郷」という詩が、道端の碑石に刻まれている。

 帰 郷

ふるさとの山や海を眺めて泣く私です
久々で訪れたふるさとの家
昔々子供の飯事に
私のオムコサンになった子供は
小さな村いっぱいにツチの音をたてて
大きな風呂桶にタガを入れている
もう大木のような若者だ
小指をつないだかのひとは
誰も知らない国へ行っているってことだが
小高い密柑山の上から海を眺め
オーイと呼んでみようか
村の人が村のお友達が
みんなオーイと集まって来るでしょう

 詩集『蒼馬を見たり』の中の「帰郷」の詩は、芙美子が壬生川の地を訪れたとき着想して詠んだ詩と伝えられるが、芙美子は幼少時から鹿児島・長崎・北九州・下関を中心に各地を転々としていて、父の実家を訪れたのは、おそらくこのとき一度か、二度きりであった。子供時代に伊予の新町で遊んだ体験などは皆無であったと思われる。

 つまり、父の実家のある新町は、彼女にとって現実的にはこの詩に詠っているような「ふるさと」でも何でもなかったはずである。たとえ佐志久山から眺めた風光を素材に「帰郷」の詩を詠んだのだとしても、この詩の主題は、どこの土地ともいえない「想像上のふるさと」を書いているとしか思われない。

 にもかかわらず、あえてこのような詩を書いているのだとしたら、「古里を持たない」という林芙美子の内奥にも、無籍のまま離別された麻太郎に対する反発とは裏腹の、実父への熱い思慕の念と、実家のふるさと「ニユ川」へのほのかな憧憬のようなものが、一つの原風景となってどこかに息づいていたのかもしれない。

 

 林芙美子記念館昭和16年から住居としていた新宿区落合の自宅を改修したもので、画家で夫の林緑敏と、母のキクさんも同居されていた。
 北九州市門司区港町に林芙美子記念館を再現した記念資料室があり、尾道にも「おのみち林芙美子記念館」がある。また文学碑は桜島尾道をはじめ各地に建てられている。

 芙美子は夫の影響だろうか、絵も描き、また『絵本 猿飛佐助』の本も作っている。立川文庫のお敬が実家の近隣の町の出身であることを知っていたのだろうか?


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                   パンフレットより

 

 



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