鄙乃里

地域から見た日本古代史

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『源氏物語』と伊予の湯桁

『源氏物語』と伊予の湯桁 「伊予の湯桁」(いよのゆげた)とは数が多いことの例えで使われている言葉ですが、地方のみならず京(みやこ)においても、ずいぶん昔から流布していた流行語のように思われます。 紫式部の『源氏物語』にも「伊予の湯桁」の話が…

古代「伊豫の湯」は道後温泉? まとめ

古代「伊豫の湯」は道後温泉? まとめ 1.斉明天皇が百済救援のため西征時に逗留した伊予の熟田津は、松山市でなく愛媛県 西条市である。 2.したがって熟田津の石湯、つまり古代「伊豫の湯」も「行宮」も当然、西条市であ る。 3.古代「伊豫の湯」を道…

古代「伊豫の湯」は道後温泉?

《 目 次 》 1 真実の探求は前提に対する疑問から 2 『伊豫国風土記』の湯郡と道後温泉 3 少彦名の温泉譚は地名説話 4 白鳳大地震と伊豫の湯 5 道後温泉は、熟田津石湯? 6 道後温泉 ~二つの誕生説話~ 7 山部赤人と伊豫の湯(1) 8 山部赤人と伊…

26.古代「伊豫の湯」~結び~

26.古代「伊豫の湯」~結び~ 古代「伊豫の湯」に関する記事のうち、最初に登場するのは『古事記』の軽皇子の「伊余湯」配流である。次ぎに『日本書紀』に登場する舒明天皇の「伊豫温湯宮」と斉明天皇の「熟田津石湯行宮」、白鳳地震の「伊豫湯泉」がある。…