鄙乃里

地域から見た日本古代史

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『三島宮御鎮座本縁』に見える大山積神

《 目 次 》 三島の宮と今治市について 1.大山祇神社の祭神 2.三島宮の祭祀と遷宮 3.大山積皇大神はなぜ面足・惶根尊なのか? 4.大山祇神社と伊豆三嶋大社の関係(1) 5.大山祇神社と伊豆三嶋大社の関係(2) 6.大山積皇大神と境内社 7.伊予…

大山祇神は女神かもしれない?

大山祇神は女神かもしれない? ある冊子のコラム記事に、大山祇神は『日本書紀』の一文により、女神ではないかと疑われる箇所があるとの話が載っていた。そこで、そんな妙な話があるのかと思って『日本書紀』を覗いてみた。 なるほど「神代記下」には、以下…

9.大山積皇大神の面差(おもざし)

9.大山積皇大神の面差(おもざし) これまでの話を総括すると、大山積皇大神は神々が天地に分化する(伊弉諾・伊弉冉尊)以前の国土を統括する古い神であり、そのため面足・惶根尊(おもだる・かしこねのみこと)を理想の祖先神として奉祭しているのではな…

8.大山積皇大神の遷座

8.大山積皇大神の遷座 孝元天皇の御代に伊予国遠土宮に遷し祀られたとされる大山積皇大神と小千氏のその後の動向については、『三島宮御鎮座本縁』に以下のような話が箇条書きされている。 その後の動向として、まず、仲哀天皇の御代に、異国から塵輪(じ…

7.伊予二名洲と遠土宮

7.伊予二名洲と遠土宮 『三島宮御鎮座本縁』によると、孝霊天皇の御代に黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)で祀られていた大山積皇大神は、次の孝元天皇の時代に、孝霊天皇の三男・彦狭男命が神託に順(したが)って伊予国遠土宮(おどのみや)に祝い祀っ…

6.大山積皇大神と境内社

6.大山積皇大神と境内社 大山積皇大神名五ツアリト吾教給之依大己貴命ヲ桊社(ママ)ト定メ事代主神葛城号神社大市姫又御名南海龍女号祓殿本社勤行ノ前ニ祈祷相勤ルコト大切ノ秘傳アリ謹可勤行也…云々 先述した史料の続きになるが、しかし、史料には「大山…

5.大山祇神社と伊豆三島大社の関係(2)

5.大山祇神社と伊豆三島大社の関係(2) 大山祇神社と三嶋大社はともに大山積神を祀るが、これを歴史的に検証してみると、どちらも物部氏の祖先や吉備武彦の子孫らが鎮座地の国造になっていることと、何らかの関連がありそうな気がする。『予章記』流布本…

4.大山祇神社と伊豆三嶋大社の関係(1)

4.大山祇神社と伊豆三嶋大社の関係(1) 『三島宮御鎮座本縁』には、続けて次の文が記されている。 大山積皇大神名五ツアリト吾教給之依大己貴命ヲ桊社(ママ)ト定メ事代主神葛城号神社大市姫又御名南海龍女号祓殿本社勤行ノ前ニ祈祷相勤ルコト大切ノ秘傳…

3.大山積皇大神はなぜ面足・惶根尊なのか?

3.大山積皇大神はなぜ面足・惶根尊なのか? たしかに話の通りなら、神代七代(かみよななよ)のうちの5代までは面足・惶根尊(おもだる・かしこねのみこと)に集約されるのは間違いないだろう。また、天瓊矛(あめのぬぼこ)を授って天降り、国生み・神生…

2.三島宮の祭祀と遷宮

2.三島宮の祭祀と遷宮 三島の神の祭祀は、文武天皇の頃までは小市国造の子孫で伊予国守(いよこくしゅ)の小千(おち)氏が全て執り行っていたようである。「小千」は「小市」とも「乎知」とも記し、また「子致」とも書かれているが、「おち」の音にそれぞ…