5.大山祇神社と伊豆三島大社の関係(2)
大山祇神社と三嶋大社はともに大山積神を祀るが、これを歴史的に検証してみると、どちらも物部氏の祖先や吉備武彦の子孫らが鎮座地の国造になっていることと、何らかの関連がありそうな気がする。『予章記』流布本(るふぼん)によると、伊豆三島(第一子)の子孫が庵(いお)を並べて住んだところは「庵原(いおはら)」だというのである。
○【国造本紀】………廬原国造(いおはらのくにのみやつこ)
志賀高穴穂朝(成務天皇)の代に、池田坂井君の祖吉備武彦命の児
思加部彦命を、国造に定め賜ふ
●【日本書紀】………伊予別(いよわけ)
吉備武彦の女、吉備穴戸武媛は、(日本武尊の)妃として武卵王と
三津浜がある)
『予章記』によると、第三子(小千命)が流れ着いたのは、こ
の三津の浦。
○【国造本紀】………伊豆国造(いずのくにのみやつこ)
神功皇后の御代に、物部連の祖天蕤桙命の八世の孫若建命を、国造に
○【国造本紀】………珠流河国造(するがのくにのみやつこ)
志賀高穴穂朝(成務天皇)の世に、物部連の祖大新川命の児片堅石
命を以て、国 造に定め賜ふ。
※珠流河国は伊豆半島を除く静岡県東部●【国造本紀】………小市国造 (おちのくにのみやつこ)
軽嶋豊明朝(応神天皇)の御世に、物部連の同じき祖大新川命の孫子致命を、国造に定め賜ふ
※小市国は、現在の今治市
河野氏の『水里玄義』を読むと、諸山積大明神は霊亀中あたりに伊豆から一度、伊予御島に移されたものらしく、『三島宮御鎮座本縁』『三島宮社記』その他によると、光仁天皇の時代(779)に勅命によって伊豆国加茂郡に戻されたように書かれている。現在、大山祇神社境内に祀られている諸山積神は浦戸から遷座したものだが、浦戸神社の祭神は造営時(1165)に伊豆三島から分霊を勧請した(『三島宮社記』)とある。
断定は出来ないが、このような経緯から、三島の神が伊豆から伊予へ行ったとか、伊予から伊豆へ行ったとか、いろいろいわれているのではないかと考える。