鄙乃里

地域から見た日本古代史

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

8.山部赤人と伊豫の湯(2)

8.山部赤人と伊豫の湯(2) また山部赤人の本歌にある「島山」は、筆者も最初は島と山のことだと解釈していたが、よく読むと、本当に島と山のことだろうか。なぜなら、島と山を褒めておいて、また続いて伊豫の高嶺が詠まれているのは、いかにも重複して不…

7.山部赤人と伊豫の湯(1)

7.山部赤人と伊豫の湯(1) 山部赤人の万葉歌(巻三 322)は古代「伊豫の湯」を詠(うた)ったものと思われる。実際にも、前書きにそう書かれている。 山部宿禰赤人、伊豫の温泉に至りて作る歌一首 并に短歌 皇神祖(すめろぎ)の 神の命の 敷います 國の…

6.道後温泉 ~二つの誕生説話~

6.道後温泉 ~二つの誕生説話~ 現在の道後温泉の誕生説話には二通りがあり、先述の『伊豫国風土記』の少彦名命の伝説と、[白鷺飛来説」の二話が伝えられている。 [白鷺飛来説」のほうは、こうである。 昔、足に傷を負い苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から…

5.道後温泉は、熟田津石湯?

5.道後温泉は、熟田津石湯? 松山では「道後温泉は昔は熟田津石湯(にきたつのいわゆ)と称した」ともいっている。それでは熟田津石湯の意味は何か。それがいつ、なぜ道後温泉に名称変更されたのか。その両者の具体的な関係はどうなっているのかなど、その…

4.白鳳大地震と伊豫の湯

4.白鳳大地震と伊豫の湯 『日本書紀』によると、天武天皇13年(684年)の白鳳大地震により伊豫の湯が壊没して出なくなっている。土佐では陸地が海になっている。伊豆の島にも造島現象があったらしい。海溝型の連動地震で、東日本大震災や宝永地震ほどの規…

3.少彦名の温泉譚は地名説話

3.少彦名の温泉譚は地名説話 「風土記」は元明天皇の和銅6年(713) 5月の官命により編纂された各地方の報告書のようなもので、国別の地勢・産物・故事・伝承などが記されている。中でも特徴的なのは、地名の由来を説く地名説話が多いことである。この「湯…

2.『伊豫国風土記』の湯郡と道後温泉

2.『伊豫国風土記』の湯郡と道後温泉 古代「伊豫の湯」道後温泉説は、もともと『伊豫国風土記』逸文の記述を根拠として成立している。 伊豫の國の風土記に曰はく、湯の郡、大穴持命(おおなもちのみこと)、見て悔い恥ぢて、宿奈比古那命(すくなひこなの…