鄙乃里

地域から見た日本古代史

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

1.大山祇神社の祭神

1.大山祇神社の祭神 神社の祭神には分かりにくいものが多い。表向きと実際の祭神が異なっていたりする場合もある。長い歴史の中でそうなったとしたら、それはそれで仕方ないだろうが、大山祇神社の祭神にも、そんな疑問点がないわけではない。 大山祇神社…

三島宮と今治市について

三島宮と今治市について 「三島宮(みしまのみや)」は、愛媛県今治市大三島に鎮座する大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)のことである。 今治市は造船・今治タオルなどの製造業や漁業などの盛んな町で、名物の焼き鳥、B級グルメの焼豚玉子飯、ゆるキャラの…

天皇在位年の西暦表示について

天皇在位年の西暦表示について 歴史本や辞書などを買うと、天皇在位年の西暦表示が参考のために添えられていることがあります。しかし、そのうち古い時代のものは『日本書紀』の編年をもとに計算されたものですから、当然、実年代とは異なってきます。古い神…

金印余談

金印余談 志賀島の金印の由来や発見時の真相は分からないが、金印そのものについては、おそらく本物ではないかと考える。なぜなら金印の文字は、日本では『後漢書』などの内容を識っている学者や武士に依頼された彫工でしか彫れないはずの文字だからである。…

鄙乃里

~地域から見た日本古代史~ こんにちは!ひなもりです 現在のコンテンツ はじめに 『魏志倭人伝』の話 金印余談 天皇在位年の西暦表示について 『三島宮御鎮座本縁』に見える大山積神 大山祇神は女神かもしれない? ン? 大山祇神は事勝国勝長狭? 倭の五王…

『魏志倭人伝』の話

《 目 次 》 1. 魏の使者は邪馬台国まで何度来た? 2.『魏志倭人伝』の距離はどうなってる? 3. 邪馬台国までの行程と方角はどう考える? 4.「女王国」は、ほんとうに邪馬台国だけなのか?(1) 5.「女王国」は、ほんとうに邪馬台国だけなのか?(2)…

『魏志倭人伝』の話 まとめ

『魏志倭人伝』の話 まとめ 1.志賀島の金印は九州の奴国王のものではない。 畿内の倭奴国王に対して授与された金印紫綬である。 2.倭奴国とは欠史八代の国を指していう。 3. 後漢の安帝即位年に貢献した倭國王帥升等は、第6代孝安天皇のことである。 …

16.宗女・台与について

16.宗女・台与について 最後に卑弥呼の後継者・台与について簡単に触れておきたい。 『魏志』には、卑弥呼が死んだあと男王を立てたが国中が従わずに混乱した、そのためまた、卑弥呼の宗女で13歳の台与を立てて王にしたところ混乱は収束したと記されている…

15.倭奴国と欠史八代(2)

15.倭奴国と欠史八代(2) そのことは別の観点からも理解することが出来る。 『梁書』によると、倭国が乱れたのは、後漢の霊帝光和中(178~184)だという。霊帝は孝霊帝ともいい、その名に対応するのは孝霊天皇であろう。これらはみな淡海三船が各天皇の…

14.倭奴国と欠史八代(1)

14.倭奴国と欠史八代(1) 卑弥呼共立以後は倭(やまと)王権が倭連合の盟主となり、崇神天皇から日本武尊の時代にかけての草創期に、次第に日本国を形成していったものと考えられる。その倭国(やまとこく)の旧国であったと『旧唐書』に書かれている倭奴…

13.倭國王帥升等の朝貢

13.倭國王師升等の朝貢 建武中元二年に続いて、安帝の永初元年(107)にも、倭奴国王である「倭國王師升等」が後漢に朝貢している。この「倭國王師升等」は普通「わこくおうすいしょうとう(ら)」と読まれ、「師升(すいしょう)」は学者により伊都国あた…

12.倭奴国と倭(やまと)(2)

12.倭奴国と倭(やまと)(2) 『新唐書』に、 日本は乃ち小国にして、倭の併せる所と為る。故にその号を冒す。 とあり、邪馬台国が倭連合の盟主となったため、「やまと」に「倭」の字を当てたのだと思う。 中国でいう「倭」は日本列島の西のほうに住む人…