14.倭奴国と欠史八代(1)
卑弥呼共立以後は倭(やまと)王権が倭連合の盟主となり、崇神天皇から日本武尊の時代にかけての草創期に、次第に日本国を形成していったものと考えられる。その倭国(やまとこく)の旧国であったと『旧唐書』に書かれている倭奴国は、記紀における神武天皇から始まる次の欠史八代の国を指していると思われ、「はつくにしらすすめらみこと」が神武天皇(始馭天下之天皇)と崇神天皇(御肇国天皇)の二人に冠されているのは、倭奴国と倭国(やまとこく)の国の違いからだと思われる。
その倭奴国の倭國王師升等を「わこくおうすいしょう(ら)」と読むのは、学者などによる漢風の読み方だが、「倭奴国」と書いてあるのに「わこくおう」と読むのはいかがだろうか。まして「帥升」を伊都国王かなどとすれば、では「伊都国」は倭奴国なのかということになる。その点は「倭國王師升等」を王名だと考えると、倭奴国と矛盾しない。
しかし、実際は和風の名称に漢字の一字一音を当てなければいけない。なぜなら相手は倭奴国王なのであるから。つまり、第6代孝安天皇が「やまとたらしひこくにおしひと」と呼ばれ、倭國王師升等が朝貢した後漢の安帝も、孝安天皇と同名の「孝安帝」であることから、孝安天皇と安帝は同時代人の可能性が高く、孝安天皇と倭國王師升等は同一人物ではないかと認識され得るからである。
〈『後漢書』〉 安帝永初元年 倭國王師升等 生口160人を貢献する
(わこくおししと)
[後漢]安帝(孝安帝) ←→ [日本]孝安天皇
〈『日本書紀』〉 孝安天皇=日本足彦国押人
(やまとたらしひこくにおしひと)
それを補完する史料としても『翰苑』引くところの『後漢書』に「倭面上国王師升」、『通典』に「倭面土国王師升等」とあるように、「倭面土」は「やまと」を「わめと」と聞き間違った可能性が高いと思うが、「わめと(こく)」とあり、「国」以外は一字一音で書かれている例を上げておきたい。「倭」は、もとは「わ」と読んだのだろうが、上記の史料はどちらも唐代のものなので、「倭」が「やまと」に変化しているのは不思議でない。
※『翰苑』は全体に誤写が多いので、『通典』のほうが正しいと思う
(つづく)