鄙乃里

地域から見た日本古代史

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

音羽の滝は観音霊場 清水寺

音羽山清水寺は京都の有名な観光名所。 西国三十三ヵ所の第16番札所にもなっています。 本堂 清水寺本堂は過去に何度も火災に遭っているそうで、現在の本堂は寛永10年(1633)に徳川家光により再建されたものと伝えられます。 本堂の御本尊は十一面千手観世…

14しか見えないのはなぜ? 竜安寺石庭

金閣寺から「きぬかけの道」をまっすぐ行くと竜安寺(りょうあんじ)です。今はたいてい龍安寺と書いています。 竜安寺の説明によると、宝徳二年(1450)室町幕府の管領職であった細川勝元が創建し、その子政元が再興したが、寛政9年(1797)に火災で焼失。…

回天の姿見ゆなり 大津島訓練基地

大津島 大津島は山口県の徳山沖にある細長い島で、旧日本海軍の回天訓練基地があった島として知られています。 昭和44年(1969)の訪島時には、徳山港から市営の巡航船が通っていました。 昭和46年12月の発着時間を見ても、粭島(すくもじま)経由の便もあり…

長崎の鐘はいのちのひびき 浦上天主堂と如己堂

長崎国際文化会館 昭和20年8月9日、広島に続いて長崎にも原子爆弾が投下され、長崎は一面の焼け野原と化しました。多くの人々が命を失い、その後も原爆症に苦しみました。 その原爆による惨状を広く伝え、核の廃絶、平和と復興の願いを込める意味から、昭…

あの夏の日の折り鶴 ~広島平和記念公園で~  

終戦後20年の昭和40年頃。このころは広島もようやく復興を果たし、平和公園にも観光客が訪れるなど、おだやかな空気が漂っていました。 しかし、平和公園の向こうに、高層ビルなどはまだ見られない時代で、原爆病院に、原爆症で苦しむ人の数は多かったのです…