鄙乃里

地域から見た日本古代史

2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

懐かしきころの道後公園と市街 松山市

春や昔十五万石の城下かな 道後公園は松山市の道後温泉近くにある都市公園です。 古くは中世伊予の守護大名・河野氏の居城があったところで、低い丘になっています。外周はその湯築城(ゆづきじょう)の外堀に囲まれています。 明治期に初代の道後湯の町町長…

崇福寺と西海橋 長崎②

崇福寺(そうふくじ) 長崎市にある黄檗宗(おうばくしゅう)の寺の一つで、中国様式。国宝や重文の建物があります。 江戸時代初期の寛永6年(1629)に、長崎在住の福建省出身者が中心になり、福建省から僧の超然を招いて創立したと説明されています。 その…

能島水軍と鳩子の海 山口県上関町

上関町は山口県熊毛郡の南東部に位置する町で、周防灘に突き出た室津半島の南端と、その南東に位置する長島、長島の西にある祝島(いわいしま)、長島の南に浮かぶ八島を中心に、半島部と島しょ部から形成されています。 江戸時代には北前船や、参勤交代の九…

瀬織津姫はいかにして天照大御神になったか

瀬織津姫(せおりつひめ)は記紀には登場しない神なので、普段はあまり聞かない名前だし、聞いたことがあるとしても、その実像までは分からないと思う。 大祓詞 瀬織津姫の名が認められるのは、大和朝廷の儀式において祭祀を司る中臣氏が、参集者の前で読み…