鄙乃里

地域から見た日本古代史

瀬織津姫はいかにして天照大御神になったか

 瀬織津姫(せおりつひめ)記紀には登場しない神なので、普段はあまり聞かない名前だし、聞いたことがあるとしても、その実像までは分からないと思う。


 大祓詞

 瀬織津姫の名が認められるのは、大和朝廷の儀式において祭祀を司る中臣氏が、参集者の前で読み上げたとされる祝詞(のりと)の中においてである。大祓(おおはらえ)といって、毎年6月と12月の晦日に行われた清めの儀式で、その六月晦大祓祝詞の中に四柱の祓戸神があり、そのトップに登場するのが瀬織津姫である。

 ほかにも神道五部書秀真伝にも名が記されていて、瀬織津姫を祭神とする神社も存在してはいる。

  これらのうち大祓詞(おおはらえのことば)の起源はかなり古いと思われるが、年代まで明確になっているわけではないらしい。次の神道五部書も、鎌倉時代に渡会氏が書いたものだと云われている。最も古い内容は『秀真伝』だが、これは真書だか偽書だかよく分かっていない。

 ここで偽書というのは後世の創作を過去の真書のように見せかけた所伝であるが、とくに『秀真伝』の場合は読み手によって評価の違いが大きいようである。記紀にも記されていない内容が詳細に書かれていて、その点、説得力もあるが、内容は別にしても、成立年代、経緯、作者の出自等に客観性が認められないからなのだろう。第一、神代文字が本物であるとか、ないとか、どうやって証明すればいいだろうか。


 瀬織津姫はこのような神なので、具体的にどんな存在なのか、十分に認知できないのも無理からぬ話である。

 祝詞の中には、瀬織津姫のほかに速󠄁開都姫氣吹戶主速󠄁佐須良姫の三神が汚れを流す神と説明されている。そのため、四神ともに祓殿に奉られる神だということは分かるが、その神名についていえば、単なる自然現象を擬人化している程度にしか受け取れない。一歩進めても、人の心理の働きを表現している程度にしか解釈できないだろう。それ以外に、この祝詞から、どんな神様像が浮かんでくるだろうか?
 それ以上は想像の世界になってくる。瀬織津姫も同じことで、これだけの情報では、その実像どころか、存在すら十分には確認できないのである。

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秀真伝』と記紀神話

 そこで、想像上の存在である瀬織津姫に関しては、こちらもある程度の想像を交えながら考えてみることにした。


  『
秀真伝』にはアマテルという神名が書かれている。このアマテルは、瀬織津姫の夫になっているようだ。が、このアマテルは、実際は素戔嗚命のことではないかと思う。
 ヒルメには日神が必要なので、その日神としてアマテルを登場させたのではないだろうか。たしかにスサノオも別に出てくるが、記紀には弟と書かれているので、弟からは外せなかったのかもしれない。

 スサノオがアマテラス(オオヒルメノムチ)と夫婦だったことは、誓約(うけひ)で八柱の神が誕生していることで分かる。誓約というのは、あらかじめ決めた結果によって事の正否を占う約束事であるが、現実の、八柱(やはしら)の神の誕生とは別次元の神話上の話である。八柱も神(子)が誕生しているのに、スサノオとアマテラスが夫婦でないという話があるだろうか。したがって、二人が姉弟という、記紀の設定そのものがあやしいのである。

 しかし、そのアマテルは母の国に行きたいと哭きいさちり、伊邪那岐命から「神やらい」され、高天原では大祓祝詞にあるような罪を次々犯して、暴れ回ったのである。そのためアマテラスは嫌がり怖れて岩屋に隠れてしまい、高天原の雰囲気が暗くなって、平和が乱れてしまった。それで、神々から王の位を剥奪され(爪を剥がされ)、追われて新羅のソシモリのところに逃れたあと、出雲へ下ったのであろう。 
 その時点からスサノオは日神ではなく、記紀により弟にされてしまったのではないだろうか?

 他方、高天原ではアマテラス(オオヒルメ)が日神の立場に変わっていったのかもしれない。しかし、このアマテラス(オオヒルメ)は、『秀真伝』が書いている瀬織津姫ではないと思う。瀬織津姫はたぶん、アマテル(素戔嗚尊)の別の后(きさき)である。それも、勘違いされた后というべきだろうか。

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 神大市姫と南海龍女の話
 素戔嗚尊は出雲で稲田姫(くしいなだひめ)を后としている。そして後世においてインド神話の午頭天王と習合されたため、櫛稲田姫も伝説上の「婆利采女(はりさいにょ)と見なされている。しかし、それが正しいかどうかを示す証拠はない。素戔嗚尊には、ほかにも妻が何人かいるからである。

  『法華経提婆達多)』には、南海のサーガラ龍王の娘は八歳で悟りを得ることが出来るという話が出てくる。この龍王の娘は伝により三女とも、長女ともいう。三女は「婆利采女」だが、長女は違う。いずれにしても南海龍女には違いない。

 他方『古事記』によると、大山津見神須佐之男命に、孫娘の櫛稲田姫ほかにも女(むすめ)の神大市姫(かむおおいちひめ)を娶せている。ところが、大山祇神社の大祝家に伝わる古伝書『三島宮御鎮座本縁』では、この神大市姫を南海龍女と称しているのである。 

大市姫またの御名・南海龍女を祓殿(はらえどの)と号している。本社勤行前に祈祷を相勤めることが大切だとの秘傳がある。謹んで勤行しないといけない。

 これは8世紀の初めに伊予国守の越智玉澄(おちたまずみ)という人が、初代の大山祇神社大祝・安元に語った言葉として収録されている。南海龍女だけでなく「祓殿」と書かれている点にも注意が必要である。

 そうすると、牛頭天王の伝説上の龍女は、櫛稲田姫ではなくて、実際は神大市姫であったかもしれなくなる。その上、神大市姫が祓殿の神であったところから、そこに「祓殿四神」の瀬織津姫が混同される可能性も生じてくるだろう。

 瀬織津姫は、その名称と役割から、山などの清流に住む神と考えられる。岩陰の深い淵や滝壺などに棲む水の精は、多くは大蛇または龍神と見なされていた。牛頭天王の南海龍女と、谷川の瀬にいる龍女とが、祓殿神で結びついたのではないだろうか。

 また瀬織津姫市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と同神と見なされることがあるが、これも神大市姫の「市」と市杵島姫命の「市」が同じであるところから、瀬織津姫とも結びついたのかもしれない。さらに瀬織津姫が川の神であるところから、インドの河の神である弁財天と混淆したことが考えられる。

 そのため、アマテル(実は素戔嗚尊)の后・神大市姫を、瀬織津姫と勘違いしたのだろうと思う。「穂乃子」は「日乃子」だろう。

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 天照大御神の荒魂と瀬織津姫

 また『日本書紀』には、アマテラスのことを撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と書かれている。そのため、こちらも一般に瀬織津姫と勘違いされていると思う。

 「撞賢木厳之御魂(つきさかきいつのみたま)」は「榊に依りつく聖なる御霊」の意味と解する。「天疎向津姫(あまさかるむかひつひめ)」は、本来は「天盛向日津姫」で、日神の巫女、あるいは妻を意味するのではないかと思う。つまり、オオヒルであり、記紀アマテラスのことになる。

 そして、その「天疎向津姫」を、文字通り「高いところにある川の瀬から海岸に向かう姫」の意味に解釈(直訳)したところから、祓殿の一神である瀬織津姫と混同されているのが、伊勢内宮荒祭宮の祭神であろう。

 したがって、現在の荒祭宮の祭神が、「撞賢木厳之御魂」である可能性はあるのかもしれない。しかし、それを祓殿神の瀬織津姫と考えるのは間違っている…と思う。

  日本書紀』の記事についても、神功皇后時代から荒祭宮があったとは考えにくいため、編纂時代の知見を意図的に挿入したのではないだろうか?

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 瀬織津姫饒速日命の妻 ??

 また、瀬織津姫饒速日命の妻だとする一部の認識も誤っている。饒速日命もアマテルと呼ばれたために、素戔嗚尊のアマテルと混同して、瀬織津姫饒速日命の妻と誤解されるようになったのだろう。

 饒速日命の妻は天道姫という。天道姫は半島に向かう海道の道主の神で、その一人に市杵島姫命がいるので、市杵島姫命瀬織津姫もつながってしまったと思う。その上、市杵島姫命水の神とされ、弁財天や、ミズハノメとも一体にされてしまっている。ひどい話、アマテラスと同神にされてしまっているケースさえ見かける。( 親と同神なわけないだろ!

 とにかく、神大市姫が南海龍王三女の婆利采女か『法華経』に登場する長女の龍女かは定かでないが、『三島宮御鎮座本縁』によると、素戔嗚尊の妻・神大市姫は「南海龍女」となっているのである。もちろん、史料が絶対とはいえないにしても、単なる憶測よりは、ずっと信じられるのではないか。

 八坂神社の櫛稲田姫が伝説上の「婆利采女」でないとは云わないが、もし、その場合は、龍王の娘が二人いたのだろう。

 

 瀬織津姫には、ほかにも縄文の神、月の女神、月読尊などと、私説がたくさんあるようで、想像を膨らませるだけなら、それも楽しいことかもしれない。

 どちらにしろ、神話の中のまた習合の話で、実際の古代史に影響を与えるものではないが、自分なりに考えてみた次第である。

 ただし、中身の真否までは保証できないので。(^^;)






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