鄙乃里

地域から見た日本古代史

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(1)

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(1) 『日本書紀』によると、西暦661年に百済救援のため征西した斉明天皇が磐瀬行宮(いわせのかりみや)から朝倉宮に移ります。正確には朝倉宮と朝倉橘広庭宮となっていますが、この朝倉宮の比定地が3個所あるのを…

「いでな」か?「こな」か? ~熟田津の歌~

「いでな」か?「こな」か? ~熟田津の歌~ 『万葉集』(巻1、8)に額田王の有名な歌があります。 熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな (武田祐吉校註 角川文庫) 高校の古文にも出てくるので、よくご存じかと思います。 では、これは…

小千益躬と鉄人退治

小千益躬と鉄人退治 小千益躬(おちますみ)公は西暦600年前後に活躍したとされる伊予の国人です。 『予章記』に「府中樹下に御館あり、故に樹下の押領使と号す」とあり、樹下の押領使・越智郡大領・伊予国守などとも記され、鴨部大神(かんべのおおかみ)と…

「伊豫の湯」の聖徳太子の侍(おとも)は誰?

「伊豫の湯」の聖徳太子の侍(おとも)は誰? 『伊豫国風土記』には聖徳太子が伊豫の湯を訪れた際に碑文を残したことが記されています。その碑は発見されていませんが、詩文は卜部兼方の『釈日本記』に引用されて逸文として残っています。 それによると聖徳…