鄙乃里

地域から見た日本古代史

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

25.熟田津石湯の地は?(14)~島山のこと 2~

25.熟田津石湯の地は?(14)~島山のこと 2~ 天保13年(1842)完成の『西條誌』にも、「歌枕名寄(うたまくらなよせ)」や「伊豫國名所歌盆石圖」からとして、「島山(しまやま)」を詠んだ歌がいくつか紹介されている。 雲間より 入日にまかふ 志万山の…

24.熟田津石湯の地は?(13)~島山のこと1~

24.熟田津石湯の地は?(13)~島山のこと1~ 最後に、以前に話した「島山」の件について触れておきたい。 山部赤人の万葉歌(巻三322)に、 皇神祖の 神の命の 敷います 國のことごと 湯はしも 多にあれども 島山の 宜しき國と こごしかも 伊豫の高嶺の …

23.熟田津石湯の地は?(12)~橘の里と伊豫郷~

23.熟田津石湯の地は?(12)~橘の里と伊豫郷~ 先述の自然災害の件に関しては『旧故口伝略記』に以下のように書かれている。 ニギタヅ村、後にニギタ村と申す。其の後天文年中の大水大汐に在家過半流れ、是より家や村は南山の麓に建てこの家も天正の兵火…

22.熟田津石湯の地は?(11)~橘天王の石湯と五度の行幸~

22.熟田津石湯の地は?(11)~橘天王の石湯と五度の行幸~ 『旧故口伝略記』には「橘天王が石湯を造った」との記事が見える。これを古代「伊豫の湯」の石湯と混同される人がおられるかもしれないが、湯の岡が昔から存在するように、古代「伊豫の湯」の石湯…

21.熟田津石湯の地は?(10)~古代「伊豫の湯」と災害~

21.熟田津石湯の地は?(10)~古代「伊豫の湯」と災害~ 684年の白鳳地震により古代の『伊豫の湯』が壊没(かいぼつ)して出なくなった。これは『日本書紀』に書かれている。その後の工事により湯脈は回復していたらしいが、古来の湯池が損壊して周囲の美…