鄙乃里

地域から見た日本古代史

古代史の小窓

「NHKスペシャル古代史ミステリー」を見ましたか?

先日「NHKスペシャル」で古代史特番が2週にわたり放映されていて、ご覧になった方も多いと思います。「邪馬台国」と「倭の五王」に関する話で、なかなか興味深いテーマでしたので、今回は視聴後の感想を簡略ながら書いてみました。 邪馬台国と女王卑弥呼 …

聖徳太子に関する四方山話的な諸考察(3)

『隋書』倭国伝の「秦王国」ってどこの話? 『隋書』倭国伝には、607年に遣隋使の小野妹子が倭国から隋にやって来た翌年に、今度は隋の使節・裴世清一行が小野妹子に同行して倭国を訪れたことが記されています。 一行は百済国に渡ってから済州島を南に望み、…

聖徳太子に関する四方山話的な諸考察(2)

聖徳太子の「天寿国」はどんな国? 聖徳太子の妃・橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が推古天皇に願って采女や工人らに作らせた「天寿国曼荼羅繡帳」には、太子らが現在いる場所として「天寿国」という言葉が出てきます。また『伊豫国風土記』逸文の聖徳太…

聖徳太子に関する四方山話的な諸考察(1)

伊予の万葉歌にある「臣の木」は「樅の木」でだいじょうぶ? 『万葉集』の山部赤人の長歌には伊予の湯を詠んだものがありますが、そこに「臣の木」が登場します。「臣の木」は『万葉集』や『伊豫国風土記』逸文に舒明天皇の大殿戸の木や鳥が登場するので、赤人…

聖徳太子の「伊予の湯」の碑はどこにある?

聖徳太子の伊予来訪 奈良時代に成立したとされる『伊予国風土記』逸文には、古代の天皇らが伊予の湯を五度(いつたび)訪れたことが記されています。 その三度目に聖徳太子が高句麗の恵慈僧と葛城臣烏那羅(かつらぎのおみおなら)を連れて夷與(いよ)の村…

弥彦神社と物部氏

弥彦神社 先般のNHK「ブラタモリ」に新潟県の長岡市と燕三条が紹介されていて、その際に弥彦神社が出てきた。それほどメジャーという印象ではないが、古い歴史と重厚さを感じさせる神社だ。 古くは越後一宮で、延喜式の名神大社。旧社格は国幣中社だったが、現…

八幡神を祀る秦氏の謎

八幡宮は全国どこにでもあり、自分の町にもある。 全国一、二の神社数を誇る八幡神と稲荷神だが、その祭祀を創始したのは秦氏だと伝わる。 しかし八幡神を奉斎した秦氏と、稲荷神を奉斎した秦氏は、はたして同じ秦氏だったのだろうか? というのが、今回のテ…

吉野ヶ里遺跡の謎の墳丘墓

吉野ヶ里遺跡の謎のエリアにある墳丘墓の発掘調査が行われマスコミを賑わせていました。邪馬台国の時代にあたる弥生時代後期の石棺墓ということで、佐賀県知事はじめ県民、マスコミ、古代史ファンまでが期待をもって見守っていましたが、特別な遺物は見つか…

仁徳天皇陵とクフ王のピラミッド

大山古墳について 大阪府堺市大仙町の大山古墳(だいせんこふん)は仁徳天皇陵とされ、クフ王の大ピラミッド、秦の始皇帝陵と並んで世界三大墳墓の一つに数えられるそうです。とはいっても、それぞれの時代はそうとう離れています。 ピラミッドも現時点では…