奈良県明日香村へ行くには、大阪方面からだと難波から近鉄奈良線で西大寺で乗り換えて1時間余で飛鳥駅に着きます。当時は手前の橿原駅で降りると岡寺行きのバスが出ていました。
次の飛鳥駅で降りると、今は「赤かめ周遊バス」という便利なバスが出来ているらしいですが、当時は飛鳥駅にバスはありませんでした。その代わりにレンタサイクルがありました(今もある)から、史跡巡りにはこちらの方が便利かもしれませんね。
飛鳥駅で降りてから、踏切を越えて西の方へ行くと、そのあたりは真弓の岡で岩屋山古墳や最近発掘調査された牽牛子塚(けんごしづか)があります。
逆に東の方へ行くと文武天皇陵や高松塚古墳になります。私ひなもりが行ったときには、高松塚古墳はすでに温度調整装置が取り付け済みで、入り口がセメントの枠で固められ錠が掛けられていました。「なんと、その費用が1億円や!」とは、休憩所のおじさんの話…。
明日香資料館
石舞台古墳は遠くから見ると広い岡の上に巨石が積み重ねられたように見えます。後期古墳の代表的なもので、蘇我馬子の墓ともいわれますが、実際は不明らしく、覆土は流れてありません。天上石の重さは1個75トンとか。入ってみると、がらんどうの巨大な石室でした。
飛鳥寺
飛鳥寺は蘇我馬子が建てた法興寺(元興寺)の跡です。
今は安居院(あんごいん)といって小さなお堂が残っているだけ。金堂の跡かもしれません。
日本最古の鋳造仏といわれる飛鳥大仏(丈六の仏像)は釈迦如来坐像で、止利仏師作と伝えられます。今は修復個所だらけなので、美術的にも信仰的にもあまり価値あるように見受けられなかったのですが、ただ歴史を考えるときには一種異様な形相を帯びてくるように思われます。蘇我馬子が建てた寺でもあり、その蘇我氏が滅ぼされたからでしょうか。
中大兄皇子と中臣鎌足は、蹴鞠をしているときに、ここで出会ったと伝えられます。このあたりを真神ヶ原(まかみがはら)といい、お寺のすぐ横に田んぼがあって、そこに入鹿(いるか)の首塚というものがありました。乙巳の変(いっしのへん)の際、切られた首が板蓋宮(いたぶきのみや)からここまで飛んできたのだそうです。誰が供えたのか、小さな花束が塚に添えられていました。今は安居院(あんごいん)といって小さなお堂が残っているだけ。金堂の跡かもしれません。
日本最古の鋳造仏といわれる飛鳥大仏(丈六の仏像)は釈迦如来坐像で、止利仏師作と伝えられます。今は修復個所だらけなので、美術的にも信仰的にもあまり価値あるように見受けられなかったのですが、ただ歴史を考えるときには一種異様な形相を帯びてくるように思われます。蘇我馬子が建てた寺でもあり、その蘇我氏が滅ぼされたからでしょうか。
明日香資料館
奈良国立文化財研究所 飛鳥資料館
蘇我倉山田石川麻呂は蘇我入鹿の従兄弟でしたが、乙巳の変で中大兄皇子らと行動を共にしました。しかし、その4年後には自らも自害に追い込まれます。その娘の一人が越智娘で、建皇子の母でした。建皇子が話が不自由だったというのも、もしかしたら、このようなショッキングな背景が影響していたのでしょうか??
橘 寺
橘街道
橘街道は藤原京の方に続く道です。
アスファルトで舗装されていますが、道沿いの側溝にせせらぎが流れていて気持ちのいい道です。春になるとれんげ草や菜の花が一面に咲いて、さぞきれいなんだろうなと思いながら歩きました。
遠くに葛城山が見えます。
葛城の峰より低く飛ぶ雲は畝傍(うねび)の里の煙とぞ見ゆ(ひなもり)
夕立を避けつつ行けば飛鳥路はさやけき雲の広がりてあり(ひなもり)
すぐ近くには雷丘(いかずちのおか)があって、雄略天皇の時代に、このあたりで雷を捕まえたという少子部栖軽(ちいさこべすがる)の逸話が『日本霊異記』に載せられています。
甘橿丘
葛城の峰より低く飛ぶ雲は畝傍(うねび)の里の煙とぞ見ゆ(ひなもり)
夕立を避けつつ行けば飛鳥路はさやけき雲の広がりてあり(ひなもり)
すぐ近くには雷丘(いかずちのおか)があって、雄略天皇の時代に、このあたりで雷を捕まえたという少子部栖軽(ちいさこべすがる)の逸話が『日本霊異記』に載せられています。
甘橿丘
飛鳥川逝回(ゆきた)む岡の秋萩は今日零(ふ)る雨に散りか過ぎなむ
(『万葉集』巻八1557)
飛鳥川を渡ってすぐに甘橿丘(あまかしのおか)があります。
道幅は広く歩いて上まで登れますが、ただ曇や雨の日は樹木が暗いので、一人だと気色が悪い感じもあります。148mの頂上展望所は大和三山・藤原京址・和田池などが一望できて、とても見晴らしがよいところです。現在は豊浦方面から別の広い登頂口もついていて、上は公園になっているようですね。
ここ(甘橿丘)は昔、蘇我氏の館があったところで、上側には蘇我蝦夷がいて、麓のところに入鹿が居たようです。入鹿が殺害されたあと、父の蝦夷も火をかけて自害しました。このときに国記なども焼かれてしまった(ふびとが取り出した)と伝えられていますが、本当なのかな?
龍蓋寺
龍蓋寺
龍蓋寺(りゅうがいじ)は岡寺のことです。真言宗豊山派に属しています。
穂すすきに 夕雲低き 明日香野や わがふるさとは 灯をともしけり(釈迢空)
明日香村を詠んだ有名な歌があります。
明日香村は歩いてもそんなに広くないので、レンタサイクルだと、いろいろと回れると思いました。夕方まで歩いて民宿に一泊しました。
※以前はのどかだった明日香村ですが、今では資料館とか食事処とか自販機とかが増えて、それでなくても狭い村がすっかり観光化して手狭になっているように見えます。たしかに便利なのですが、そんな中でも、飛鳥特有の明るい風光や、古代の歴史が刻まれた古里のたたずまいだけは、現代化の波に翻弄されることなく、将来にわたって保存されて欲しいと願うものです。史跡は場所そのものであって、資料館ではないですからね。
※以前はのどかだった明日香村ですが、今では資料館とか食事処とか自販機とかが増えて、それでなくても狭い村がすっかり観光化して手狭になっているように見えます。たしかに便利なのですが、そんな中でも、飛鳥特有の明るい風光や、古代の歴史が刻まれた古里のたたずまいだけは、現代化の波に翻弄されることなく、将来にわたって保存されて欲しいと願うものです。史跡は場所そのものであって、資料館ではないですからね。