奈良薬師寺東塔(とうとう)は天平時代に完成したものといわれますが、藤原京から移設したものか、平城京遷都後における新築かについては、まだ十分に解明されていないとのことです。たとえ、新築であっても本薬師寺の様式を再現しているため、平城京で現存する唯一の白鳳様式を伝える建築物として国宝に指定されています。
現在、再建されている金堂・講堂、西塔などはみな、この東塔の様式を見本にして復元されたもので、そのため寸法や細部についても関係者が詳しく調査されたようです。
高さ34メートルの東塔は一見、六重の塔のようにも見えますが、中間に風雨による損傷を防ぐための裳階(もこし)があるため、実際には三重の塔です。
最上部の屋根の上には相輪(そうりん)という塔婆(とうば)のようなものが立っていて、これは九輪(くりん)や水煙(すいえん)などがセットになったものです。
塔の本来の役割はお釈迦さまの仏舎利を納めるためのものでした。お釈迦様が入寂された当時は仏像などは存在せず、仏舎利を分割して各処に納め奉っていたものが、現在の塔になったようです。パゴダと同じことでしょう。
逝く秋の やまとの国の 薬師寺の 塔のうへなる 一ひらの雲
佐佐木信綱によるこの歌は有名ですが、東塔を詠んだものです。
ほかにも会津八一や吉野秀雄の詠んだ歌が知られています。
会津八一の歌は、
すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな
と、水煙の天女の像のすき間から見える秋の澄んだ空を歌っています。
これを写真の撮影に比較してみると、佐佐木信綱の歌は一ひらの雲にピントを合わせていきますが、周囲のものにも被写界深度が合っていて、最終的には薬師寺の塔上の寂寥感を感じさせる秋の美しく澄んだ空をみごとに表現しています。
逆に、会津八一の歌は、望遠レンズで東塔上の水煙だけをアップにして、その空間を切り取ることにより、あたり全体にひろがる秋の青空を活写しています。しかも、ひらがなで書かれているため親しみが感じられます。ほんとうに地上から天女の衣手が目視できるのか確認していませんが、もしかしたら双眼鏡でも持っていたのかもしれませんね。
いずれにしても歌人や詩人ですから、大和の秋空を指して屹立する東塔の、普遍の美に魅せられて詠われたものでしょうか。
解説書などによると、東塔の詳しい調査では、以下のようなことが分かったそうです。
創建時と比べて
・基壇が80センチ沈下している。
・裳層のところに連子窓(れんじまど)があったが、白壁に改装されている。
・一階の柱が20センチほど切断されて短くなっている。
・最上部の屋根が30センチほど短くされている。
ほかにも飾り金具等の損失や細かい違いがあるらしいですが、再建された西塔ではいずれもこれらが補正されているとのことでした。
東塔は平成21年から大規模な解体修理に入っていました。現在はその工事が完了していますので、こうした個所まで元通りに復元されているのか。それとも歴史の風雪を尊重しながら、ほぼ現状のままの保存修理がなされているのか。たぶん後者だろうと推察しますが、興味あるところです。
*東塔の解体修理は、当初は平成31年春ごろに終わる予定でしたが、予定より1年遅れて令和2年2月に落慶法要が挙行されるように変更されていました。しかし今度はコロナ禍により延期となり、いまだに決定できていないようです。ただ、落慶法要に先だって一般公開が本年3月1日から予定されているとのこと(こちらは大丈夫なのなのかな?)。
どうなるかはわかりませんが、たのしみですね。