上関町は山口県熊毛郡の南東部に位置する町で、周防灘に突き出た室津半島の南端と、その南東に位置する長島、長島の西にある祝島(いわいしま)、長島の南に浮かぶ八島を中心に、半島部と島しょ部から形成されています。
江戸時代には北前船や、参勤交代の九州諸大名、朝鮮通信使などの船の往来で萩藩の重要な港として栄えていたそうですが、次第に衰退し、みかんや漁業を中心とした農水産業が発達し、また上関海峡や皇座山などの景勝地を生かした観光産業にも力を入れているようです。町の中心部は室津と長島です。
■ 上関大橋(かみのせきおおはし)■
上関町室津半島と長島との間にある幅約100mの上関海峡に架かる橋で、昭和44年(1969)6月に完成したものです。
中間の海峡は急流で、明治維新には長州藩が両岸の二つの丘に荻野式の大砲を構え、海峡に大筏を組んで、幕府軍の侵入を阻止したといわれます。
下関(赤間が関)、中関(防府市三田尻)ともに、山口県の三関と称されています。
長島側には城山歴史公園があり、南北朝時代から戦国時代にかけて瀬戸内水軍の海城(うみじろ)があったところです。今治市宮窪(みやくぼ)を本拠としていた能島(のしま)村上水軍の祖、村上義顕(よしあき)が、この地に関を設けて、代々が居城にしていたそうです。安全を保障する代わりに、通行料を取っていたのかもしれませんね。
豊臣秀吉の海賊禁止令により村上水軍はやがて海上の支配権を失いましたが、能島水軍は以後も毛利氏に就いていたようです。
また上関は、NHKの連続テレビ小説『鳩子の海』の舞台にもなりました。
朝ドラに当たる番組ですが、当時は1年間のドラマで、斉藤こず恵さん、藤田美保子さんが主役で好演しています。
といっても、自分はあまり観ていなかった。というより、テレビがなかった。
今は室津側に「上関温泉 鳩子の湯」という施設が出来ているようです。
■ 皇座山(おうざさん)■
室津半島の中間に位置する山で、山頂は526.7m。瀬戸内海の眺望がよく、ハイキングコースとして人気があり、頂上まで6.5kmのドライブウェイがあります。
このときはバイクで狭い山道を登っていったので、かなり急な坂もありましたが、その代わり、その道には色の変わった水色のアゲハチョウとか、珍しいチョウがたくさん舞っていたのを覚えています。
山頂に着くと、少し霧が漂っていました。
■ 山頂のベビー牧場 ■
皇座山の頂上にあった小さな牧場。この日は曇り空で、誰にも出会わなかった。
この牧場、いまはどうなっているのかな?
■ 祝島 (いわいしま)■
祝島は長島の西の海上にあり、周囲から隔絶されていたためか原始共産制の名残がある島だと言われています。山の枯れ木や、片栗粉の材料の天然百合や、布海苔(ふのり)といったものが、約束事を守れば、誰の所有地でも勝手に自由に採ることが出来るのだそうです。
動画の「神舞」は大分の伊美別宮社(いみべつぐうしゃ)が仁和2年(886)に石清水八幡宮から分霊を持ち帰る途中、荒天のため祝島の三浦に漂着しました。三浦には三軒の人家しかなく、とても貧しかったのですが、心からもてなしてくれました。そして、そのお礼に神祀りや五穀の法を教えたそうです。以来、4年に1度、祝島から数十隻の舟を伊美に繰り出して伊美別宮社の御神体を迎え、神社の神職も供奉してきて、5日間にわたる「祝島の神舞神事」を献上することになったということです。
祝島の写真はありませんが、別の機会に柳井港から渡ったことがあります。一日2便の定期船で1時間10分です。室津からだと3便あり、40分ほど。民宿と宿も少しあります。当時は、今のような立派な船ではなかったのですが。
人口は20年前に700名以上あったのが、今は300名あまりだそうです。
島に近づくと、風よけのためだろうか、ぐるりと石垣で囲まれているので異様な感じを受けます。でも、島の人たちはとても純朴でした。漁業で生計を立てているのでしょう。