西国三十三ヵ所の第16番札所にもなっています。
本堂
清水寺本堂は過去に何度も火災に遭っているそうで、現在の本堂は寛永10年(1633)に徳川家光により再建されたものと伝えられます。
本堂の御本尊は十一面千手観世音菩薩立像(重文)で、その左右が毘沙門天像と地蔵菩薩像です。ともに東国遠征で田村麻呂を助けたので、脇侍として安置されているとのこと。いずれも秘仏です。
そして、本堂前面の崖にせり出たバルコニーが有名な清水の舞台。
由緒
清水寺のそもそもの由緒は、坂上田村麻呂が懐妊中の妻のために東山の麓で鹿狩りをしていたところ、大和からこの地に来て修行をしていた僧の延󠄅鎮から、霊地で殺生をしてはいけないと諭され、妻のために加持祈祷をしてもらった。
そのためか霊験があり、そこで、田村麻呂からその話を聞いた妻高子が、罪を懺悔するため観音菩薩像を安置する仏殿を造立したのが、清水寺の始まりだといわれるようです。
田村麻呂が征夷大将軍に任命されて東国に遠征した時にも、国家平定を祈祷してもらったといいいます。
延暦24年(805)桓武天皇の御願寺となり、弘仁元年(810)に鎮護国家の道場とされました。
音羽の滝が本来の修行場で、その清水が「清水寺」の名称の由来になっている
そうですね。三筋流れ落ちていますが、全部飲んではいけないとのこと。『舌切り雀』のおばあさんになってしまうから。(^^)
清水の舞台から奥の院を見ているところ。向かって左は阿弥陀堂。
ほんとうは、「かわらけ投げ」を見物しているんだと思いますけどね。
清水寺 仁王門 西門 三重塔
友人が以前訪れたときは、坂上田村麻呂に降伏したアテルイとモレのかなり立派な石碑が、舞台下の参道の脇に建ててあったそうです。
気づかなかったから、最近建てられた石碑ではないかと思われます。
清水寺は坂上氏の菩提寺でもあるようですね。
平成の長かった大改修をようやく終えて、檜皮葺きの屋根も吹き替えたので、また新しい装いの清水寺を拝観できるものと思います。