鄙乃里

地域から見た日本古代史

1.大山祇神社の祭神

 1.大山祇神社の祭神

 神社の祭神には分かりにくいものが多い。表向きと実際の祭神が異なっていたりする場合もある。長い歴史の中でそうなったとしたら、それはそれで仕方ないだろうが、大山祇神社の祭神にも、そんな疑問点がないわけではない。

 大山祇神社主祭神は現在は大山積命とされているが、大山祇神社の大祝家(おおはふりけ)に伝わる『三島宮御鎮座本縁』には、冒頭に次の伝承が載せられている。 

人ノ代之初神日本磐余彦天皇ヨリ七代天皇日本根子彦大瓊天皇日本国黒田廬戸宮仁弖天照太神(ママ)相與仁大山積皇大神ト祀給是三島神徳之始也與

 

 人の代の初め神日本磐余彦天皇から数えて七代目の天皇に当たる大日本根子彦大天皇が、日本国の黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)で、天照太神(ママ)大山積皇大神と一緒にお祀りになられた。これが三島の神徳の始まりである…と。

  (口語は便宜上の拙訳です。誤認があるかもしれないので、原文と比べてご賢察を

 ここに書かれている神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)は神武天皇のことで、日本根子彦大瓊(おおやまとねこひこふとに)は第7代孝霊天皇のことである。2代から9代までの天皇欠史八代といわれ、「記紀」には系譜や在位期間だけが記され、事績が全然書かれていない。しかし『三島宮御鎮座本縁』には、僅かだがこんな記事が載っている。

傳ニ曰此御代天下不穏不順民多叛因茲天皇大己貴神盟天下平国民令順祈給大己貴神夢告曰君天下平国民順冀給先面足惶根尊此二柱神可祭是則大山積皇大神申教給依之天照大神相興祭給…云々

 

 伝えるところによると、この時代は不穏不順にして、民の多くは叛(そむ)いていたこのため天皇大己貴神に盟(ちか)って、天下平和にして国民がよく順うようになることを祈られた。そこで大己貴神が夢に告げて云われるには、君天下平和にして国民が順うことを乞い願われるならば、先ず面足・惶根尊この二柱の神を祭ることです。これが則ち大山積皇大神ですと申し教えられた。これに順って天照大神と(大山積皇大神を)相興(とも)にお祭りになられた…云々

 ここで天皇の夢に現れた「大己貴神(おおなむちのかみ)」は大国主命と考えてもいいと思うが、これによると「大山積皇大神」は「面足・惶根尊」だと明記されている。つまり、大山祇神社主祭神の実体は、今ははっきりしないが、伝承の当時は大山積神ではなく、面足・惶根尊(おもだる・かしこねのみこと)になっている。もっとも、同じ復刻版の『三島宮社記』のほうでは、面足・惶根尊と大山祇神の両方になっているが、どちらにしても、面足・惶根尊が書かれていることには違いがない。

  面足・惶根尊は、天地開闢(てんちかいびゃく)神話における神代七代(かみよななよ)のうちの6代目の尊とされ、「面足」は大地が出来上がって完全であること。「惶根」はすばらしいという褒め言葉のようである。両神を一対にして、このように呼ばれている。

    神代七代

  • ①国之常立(くにのとこたち)…②豊雲野(とよくもの)…③宇比地邇・須比智邇(うひじに・すひじに)…④角杙・活杙(つのぐい・いくぐい)…⑤意富斗能地・大斗弁(おおとのじ・おおとのべ)…⑥於母陀流・阿夜訶志古泥(おもだる・あやかしこね。面足・惶根)…⑦伊耶那岐・伊耶那美(いざなぎ・いざなみ)
     
    古事記』による。…『日本書紀』では②に国狭槌尊があり、④の角杙・活杙がない)

 それでは、なぜ主祭神大山積神だけでなく、面足・惶根尊なのか。それについては、後文にも関連する話が載せられているので、また、そのときに触れてみたいと思う。

 

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:現在の大山祇神社所在地(今治市大三島町宮浦)


 

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(つづく)