鄙乃里

地域から見た日本古代史

三島宮と今治市について

 三島宮と今治市について

 「三島宮(みしまのみや)」は、愛媛県今治市大三島に鎮座する大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)のことである。

 今治市は造船・今治タオルなどの製造業や漁業などの盛んな町で、名物の焼き鳥、B級グルメの焼豚玉子飯ゆるキャラのバリィさんなどで知られている。また、今治市内から広島県尾道市へ至るしまなみ海道には多くの橋が架かり、マイカーや自転車で瀬戸内海の汐風を感じながら、美しい島々の風景を堪能できる。 

  しかし、この地域でもっと昔に有名だったのは、島嶼部に根拠地があった瀬戸内水で、とくに村上水軍の名は全国的に知られている。水軍太鼓という勇壮な太鼓もあり、「村上海賊」と小説などには書かれていたが、実際は海賊ではなく、海族だと言っている人もいる。

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 この今治市は、昔越智郡(おちぐん)と称していた。伊予の名族に越智氏があり、その一族が武家河野氏となり、その配下に村上氏がいて、村上氏は根拠地により来島(くるしま)・能島(のしま)・因島(いんのしま)の三氏に分かれていた。

 そのしまなみ海道の中央に芸予諸島(げいよしょとう)で最大の大三島があり、越智氏・河野氏・村上氏らが奉祭したのが、そこに鎮座す大山祇神社である。その大祝家(おおはふりけ)は現在は改称して三島氏であるが、もとは越智氏であった。

 『伊豫国風土記』によると、大山祇神社は、またの名を和多志(わたし)の大神ともいい、山の神であると同時に海の神、農業の神としても、広く信仰されている。また水軍や武士の守護神ともされてきた。 

伊豫の國の風土記に曰はく、乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積神、一名は和多志の大神なり。
(『伊豫国風土記逸文)  

 本殿の祭神は大山積神。本殿左右の摂社は大雷神(おおいかづちのかみ)と高籠神(たかおかみのかみ)並びにそれぞれの姫神で、ほかに境内社が数多くある。古くは延喜式名神大社に列し、伊予国一の宮。戦前までの旧社格国幣大社である。鳥居の神額には「日本総鎮守 大山祇大明神」とあり、大山積神を祀る全国1万1千余社の総本宮とのことである。

 境内や森には楠の巨樹が何本もある。神社付属の国宝館と紫陽殿には、源義経の鎧斉明天皇の禽獣葡萄鏡(きんじゅうぶどうきょう)をはじめ、国宝8点のほか多数の重文があり、おびただしい数の刀剣類が収蔵されていて、国宝の島ともいわれている。

 その大祝家に伝わる古文書 『三島宮御鎮座本縁(みしまのみやごちんざほんえん)』には、神社の創立や、それぞれの時代の出来事に関する伝承が、かなり詳しく記載されている。それを基に大山祇神社の成り立ちと、この地域の出来事が、中央の歴史とどう関わっているかを考えてみたい。

(略地図は愛媛県のパンフレットより)
 
 

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(つづく)