鄙乃里

地域から見た日本古代史

3.少彦名の温泉譚は地名説話

 3.少彦名の温泉譚は地名説話

 「風土記」は元明天皇和銅6年(713) 5月の官命により編纂された各地方の報告書のようなもので、国別の地勢・産物・故事・伝承などが記されている。中でも特徴的なのは、地名の由来を説く地名説話が多いことである。この「湯の郡」の湯泉に関する伝説も、そのような説話の一つと考えられる。

 つまり、説話は「湯の郡」の地名を説明するための手段としての側面が強く、ノンフィクションとは違って、その内容をどこまで事実として受け止めるべきかについては問題が多い。極論すると、その湯泉説話で「湯の郡」の由来を説明できさえすれば、材料はどこから取ってきてもいいわけである。それがほんとうに湯の郡の話かどうかは、それほど問題にはならない。

 上記の説話からは、大分の早速の湯別府温泉)のほうが伊豫の湯(ここでは道後温泉)よりも古いと受け取れるのは、学童にでも知られる道理である。したがって『伊豫国風土記逸文の記事を根拠としながらも、他方で道後温泉「日本最古の温泉」と商魂たくましく堂々と公言している現況は、その矛盾をわざわざ露呈しているようなものであり、あまりにも牽強付会というか、我田引水的でむしろ笑えるが、これをどう説明されるのかとも思う。
 その上、松山市では「道後温泉三千年の歴史がある」とも宣伝している。何を根拠に3千年を出してくるのか見当もつかないが、少なくとも、大国主命の時代は3千年前などではないだろう…と。

 

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(つづく)