鄙乃里

地域から見た日本古代史

4.白鳳大地震と伊豫の湯

 4.白鳳大地震と伊豫の湯

 『日本書紀』によると、天武天皇13年(684年)の白鳳大地震により伊豫の湯が壊没して出なくなっている。土佐では陸地が海になっている。伊豆の島にも造島現象があったらしい。海溝型の連動地震で、東日本大震災や宝永地震ほどの規模ではなかったかもしれないが、記事を読む限り、記録に残る地震と思える。

 

 道後温泉説によると、伊豫の湯はその後、自然復旧したと考えられているのかもしれないが、伊豫の湯がその後に復旧したとの記事は、正史その他のどこにも記されていない。もし温泉が復旧したのであれば、それ以後は、なぜ天皇らの来訪が一度も記録されていないのだろうか。それ以前は舒明天皇斉明天皇の逗留については『日本書紀』に明記されているし、『伊豫国風土記』には聖徳太子も含めると5度とある。『万葉集』なども併読すると、舒明天皇斉明天皇の場合は2回ぐらい「伊豫の湯」を訪れているようなので、白村江の敗戦以後、国策が変わったという理由だけでは説明がつかないものがある。

 

 道後温泉は後世の地震において何度か温泉の湧出が止まったり濁ったりしているが、その際には、しばらくしてから復旧したことが郷土史料などに記されている。しかし、白鳳大地震の復旧に限っていえば、そのような記載は一切ない。そして、復旧していないのなら、壊没した伊豫の湯は道後温泉とはいえないのではあるまいか?

 

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(つづく)