6.大山積皇大神と境内社
大山積皇大神名五ツアリト吾教給之依大己貴命ヲ桊社(ママ)ト定メ事代主神葛城号神社大市姫又御名南海龍女号祓殿本社勤行ノ前ニ祈祷相勤ルコト大切ノ秘傳アリ謹可勤行也…云々
先述した史料の続きになるが、しかし、史料には「大山積皇大神」と書かれているので、それに対して諸山積大明神を当てるのは的はずれな気もする。また「これにより」以後の文章との脈絡が取れない。
そこで「名が5つある」の意味は、面足・惶根尊に集約されるとする過去神5代を指しているのかとも考えてみた。それでも、やはり釈然としないものが残るため、結局、不明のままである。
ただ、ここに書かれた3神は現在も合祀の形で大杉横の手水社のあたりに祀られている。これらは遷宮途中の霊亀2年(716)の時点で本社と同時に造営された社らしく、3社以外にも荒神社が記されている。『三島宮社記』には、ほかに水神(罔象女神)も同時期と書かれている。もちろん今日まで、何度も再建はされただろう。
境内社
本社本殿のほかに
上津社………大雷神(いかづちのかみ)と上津姫。本社の向かって右側。1147年造
営。
下津社………高籠神(たかおかみのかみ)と下津姫。本社の向かって左側。1142年造
営。
総社…………大己貴神。何の総社か不明だが、現在は伊予総社になっている。
葛城神社……事代主神。奈良の葛城神社。
祓殿…………『三島宮社記』には祓戸神4座とあり、現在もそうなっているが、祓戸
神4座は十七神社にあるのに大市姫の社が見当たらない。実際は『三島
宮御鎮座本縁』の通り大市姫ではないかと思う。『古事記』によると、
大市姫は大山積神が須佐之男命に娶せた神大市姫のことで、又の名は南
海龍女とされる。
上記の3社は合祀。
水神社……罔象女神(みずはのめのかみ)を祀る。上記3神の社の傍にある。
地神社………地主神を祀る
稲荷神社……宇迦之御魂神を祀る。宇迦之御魂神は稲霊で、全国稲荷神社の主祭神。
『古事記』で須佐之男命と神大市姫の子とされる。
石神社………不明。磐長姫か。
姫子邑神社…木花咲耶姫と御子神を祀る。本殿裏の道を隔てたところにある。
祖霊社………昔は神宮寺があった場所で、明治になって大国主命を出雲から勧請した
とあるから、その頃から氏子の御霊を祀っているのだろう。それがなぜ
過激派に焼かれたのかは分からない。
五穀神社……宇迦之御魂神を祀る。
馬神社………天斑駒神(あめのふちごま)を祀るとしているが、『予章記』に小千玉
興が奉献したと書かれている駁馬のことではないかと思う。
十七神社……諸山積神社を筆頭に、越智7島に祀られていた神々を1302年に集合させ
たもので、全部で21体の木像がある。
本殿の左右にある摂社の大雷神(おおいかづちのかみ)と高籠神(たかおかみのかみ)並びに、それぞれの姫神を祀る上津社(かみつやしろ)・下津社(しもつやしろ)は遷宮時にはなく、後年に祀られたもののようである。これは山祇神と同時に2神が軻遇突智(かぐつち)から生じた神話から合祀されているのではないだろうか。軻遇突智は火の神で鍛冶神(ギリシャ神話でいうヘーパイストス)で、製鉄にも関わり、そこから名刀が生まれるが、自然の場合は火山噴火による現象を表したものだろう。噴火の時は雷鳴のような爆発音が轟き、龍のような噴煙がもくもく立ちのぼって、そこから溶岩など山の神が生まれるのである。
*写真は小千命の御手植と伝える大楠
(つづく)