鄙乃里

地域から見た日本古代史

一柳氏

一柳直照の母に関する二つの疑問

一柳直照(半弥)の母は『寛政重脩諸家譜』には直重正室で直興と同母の「菊亭大納言公矩の女」とある。が『一柳家史紀要』には直重側室の「長養院殿菊源景廣大姉」と記されている。 しかし、この点に関していえば、自分は、後説のほうに疑問を感じる。古くか…

その他の一柳氏(直家、直頼、直照)

一柳直盛の子は6人いたことになっているが、跡を継いで大名になったのは嫡男直重、二男直家、三男直頼の三名である。嫡男の直重は先述の通り3万石で伊豫西條藩主になっている。 一柳直家(ひとつやなぎなおいえ) 次の二男・一柳直家は、自らの知行分であ…

伊豫西條藩の一柳氏 ⑥ 直興

一柳直興(ひとつやなぎなおおき) 伊豫西條藩三代藩主 一柳直興は二代藩主・直重の嫡男で、從五位下監物、通称は左近。 寛永元年(1624年)伊勢神戸に生まれる。12、3歳のころ父とともに西條に移動。父直重の藩政時代には弟の直照とともに大町あたりに居所が…

伊豫西條藩の一柳氏 ⑤ 直重

一柳直重(ひとつやなぎなおしげ)二代伊豫西條藩主 一柳直重は直盛の嫡男である。慶長3年(1598年)山城国伏見で生まれ、のち伊豫西條藩二代藩主(1636-1645)。従五位下丹後守、通称は入道。 慶長14年(1609年)12歳で従五位下丹後守に叙任。駿府に家康、…

伊豫西條藩の一柳氏 ④ 直盛

一柳直盛(ひとつやなぎなおもり) 初代伊豫西條藩主 一柳直盛は一柳直高の二男で、直末の弟。永禄7年(1564)美濃国渥美郡で生まれる。四郎右衛門、監物。 羽柴秀吉の播磨三木城攻めのあと呼ばれて兄直末の被官となり、兄と戦場で行動をともにしたが、天正…

伊豫西條藩の一柳氏 ③ 直末

一柳直末(ひとつやなぎなおすえ) 一柳直末は直高の男子。美濃国厚田郡西野村(又は今泉村)の生まれで、市助、のち伊豆守と称される。豪勇にして果敢な人だったらしい。 一柳宣高・・・・・・・・直高・・・・・・・・・・・・直末(伊豆守)・・・・・・・・・・・松千代 南化和尚 女子(…

伊豫西條藩の一柳氏 ② 直高

一柳直高(ひとつやなぎなおたか) 初代一柳宣高(のぶたか)の子を直高という。室は稲葉一鉄の姉の娘。直高の事績は『寛政重脩諸家譜』には、とくに記されていない。「又右衛門、天正8年7月2日死去」とあるだけ。 その他の史料によると、天文11年(1542…

伊豫西條藩の一柳氏 ① 宣高

伊豫西條藩について 伊豫西條藩は、寛文10年(1670)に紀州連枝の松平頼純が入部して以来、約200年間を松平氏が治めて明治に至った。西條の松平氏は小藩ながらも定府大名であったから、その間、御留守居役の家老はもとより奉行・藩士らだけでなく、町役人・…