昨日はひな祭りだった
以前、金曜日のチコちゃんの中で、「うれしいひなまつり」の詩をサトウハチローが間違えたらしいことを話していた。
二番の「お内裏様と おひな様/二人ならんで すまし顔」のところだ。
たしかに内裏とは御所のことだから「お内裏様」はそこに住む人、つまり「天子」とか「お后」のことになる。つまり、両方とも内裏様といえば内裏様である。そして「おひな様」は、ひな人形全てのことを指す。だから理屈から言えば、この箇所は少しおかしいといえる。
しかしここでは、チコちゃんは詩句の間違い云々よりも、いつもボーっと生きている我々の頭のほうを刺激してくれているのだろう。
もう一つおかしなところは、チコちゃんでは言ってなかったが、三番の「すこし白酒 めされたか/あかいお顔の 右大臣」の歌詞で、白酒はほんとは甘酒のことで、実際の赤い顔は右大臣ではなくて、左大臣とされているひな人形のほうである。
しかし、そのようなこととは関係なく、サトウハチローの歌詞は素晴らしい。細やかな観察とともに、春のひな祭りを迎えた少女の浮き立つような喜びがうまく表現されている。
詩人も当然ながら事実は大切にするだろうが、時には事実よりも自らの感受性を優先させて言葉を選択することもままある。だからこそ、その詩が人の心にすーっと入っていけるのだ。何もかも理屈通りに書いてしまうと、逆に歌のリズムや命が損なわれてしまう場合も多いだろう。
それに、先の方は内裏様がとくに「天子」そのものを指す代名詞であるがために「内裏びな」と「そのお后のおひな様」が短縮されただけのことかもしれず、それなら別に間違いとはいえない。ただし「おひな様」よりは「おひめ様」にしたほうが解りやすかったかもしれないが。
また「白酒」は甘酒が白いからで、自分たちもひな祭りでは白酒と言っていた。それに昔は本物の白酒を供えたようでもある。
「右大臣」のところは、自分から見て左大臣が右側に来るから間違えたのかもしれないが、左大臣はもともと顔が赤いので、白酒を飲んで顔が赤くなるのは顔が白い右大臣のほうであろう。それに「あかいお顔の」の次に来る歌詞は、母音で始まる「右大臣」のほうが歌いやすくもある。
聞くところによると、ひな人形は9月9日(重陽の節句)にも飾る風習があったらしい。
河村光陽の作曲のほうも軽快で明るくハミングしやすいので、年寄りから子供まで、だれにでも親しめる歌だ。ひな祭りに、この歌があるのとないのとでは大違いだ。どれだけ国民の生活が和むことか。
日本にはこのような童謡や唱歌がいくつもある。春は「春の小川」「さくらさくら」、初夏は「こいのぼり」「背くらべ」「夏は来ぬ」、秋は「もみじ」、冬は「お正月の歌」など、覚えやすく忘れにくい歌がたくさんある。
この世に、これらの歌がなかったら、どんなに寂しいことだろうか。
いいんじゃ、ないの?