鄙乃里

地域から見た日本古代史

臨時列車で神話のふる里へ 高千穂町

 週末の土曜日に臨時列車「高千穂観光号」が出ていたので、それに乗って宮崎県の高千穂町へ行ってみました。

 宮崎県西臼杵郡高千穂町は神話のふる里として有名なところです。


 高千穂観光号

 熊本から阿蘇方面へ(準急ひまわり号+高千穂観光号で)向かいます。




 立野駅のプラットホームより

 ここは立野駅でしょう。熊本駅から35分。準急ひまわり号から高千穂観光号がここで切り離され、立野のスイッチバックから阿蘇谷へ入ります。

 大昔は阿蘇カルデラ内が巨大な湖だったと言われ、水の出口がないため阿蘇の神さまが立野のところを切り開いて、そこから白川が熊本に流れ出したと言われています。

 


 高森方面へ向かう途中の渓谷

 立野から約4時間で豊後高森駅に到着。ここから山道をバスでガタガタ登って行きます。当時の山道は狭くて離合場所がないので、すれ違うときは何度も広道までバックを繰り返します。これでは時間がかかりすぎる。夕日が樹林を染める中、高岳根子岳を横手に眺めながら、バスはつづら折りを進んで行きます。おかげでバス酔いしてしまい、すっかりやられてしまいました。
 高千穂町宮崎交通営業所に着いたときは最低の気分。降りてから少し吐いたかもしれません。今はもっと楽に行けるでしょう。




 高千穂観光協会のパンフレット

 しばらく休憩すると楽になってきたので、宿を探しに出かけます。今日は土曜日でいっぱいなのでよい部屋がないとの話でしたが、予約がないので、何でもいいからと泊めてもらいました。


 バス


 旅館



 明朝、観光バスに乗ると、まず天岩戸神社へ行きました。神社の人が神水を木の葉に浸し振りかけてくれたので、厳かな気持ちで参拝します。


 天岩戸神社 (同パンフレットから)

 垣根の向こうに左へ入る径があったような。

 


 岩屋へ向かう道

 拝殿の裏側に出ると注連縄(しめなわ)があり、うっそうたる木々と峡谷を隔てて、うす暗い洞窟が見えるような…(気がする)。
 注連縄は結界の印。ここからは聖域なので、許可なく入ってはいけない。

 


 天岩戸の洞窟

 川向こうの茂みの中に天照大御神が籠もったと伝えられる岩屋があるという。
 「目の高さに、ほら! 広場に当たるところが…」と熱心に説明してくれますが、不信心なのかよく分からない。「ここからご覧なさい。いちばんよく見えますよ!」そう言われてみると何となくそんな気もするし、今さら「見えない」とは言えません。

 それにしても…、天孫降臨の高千穂の里に天岩屋があったりするのはおかしいと思うのですが、まさか、ガイドさんにそんな不謹慎なことも言えません。ここに再現でもしたのかな?と思ったぐらいです。

 


 拝殿の屋根と大銀杏

 大きな銀杏ですが、実も葉も普通の銀杏とは異なっていて「古代いちょう」というのだそうです。枝から根が生えて下垂していました。前方には三笠宮殿下が大正何年かに植樹された檜(ひのき)もありました。
 天岩戸神社のおみくじは吉でした

 

 この命(みこと)は誰?



 高千穂神社

 主神の御毛入命(みけいりのみこと)と、合わせて十柱の神を祀る。
 御毛入命(『日本書紀』では御毛入野命)はこの地から東征に出発したが、神社の伝承では途中から帰郷したとされています。記紀では海中に入った、母の国に帰ったとなっていますが、この地に祀られているのだから、神社伝承のほうが正しいと思う。ほかの兄弟命は祀られていない。

 


 秩父

 鎌倉時代源頼朝の代参として畠山重忠が手植えしたと伝えられます。
 重忠が秩父荘の主(あるじ)であるところから名付けられた。樹齢800年以上、高さ45メートル、根回り9メートル。

 
 高千穂神社拝殿は当時、三百余年を経ていると聞きましたが、当時の寺社はどこも金欠で青息吐息だったのか管理があまり行き届いていない印象でした。それでも年月を経た威厳は感じられました。

 この付近に四王子峯というところがあり、四王子生誕の土地と伝えています。

 霧島連峰高千穂山麓高原町狭野神社があり、こちらも狭野命(神武天皇)の生誕地で宮崎神宮の高千穂宮にいたことになっていて、何だか訳が分からないんですけど。宮崎市にはほかの命(みこと)の話はないから、狭野命が宮崎市から高千穂町へ行ってから東征の話をして、一緒に東征したのかな? 
 通説とは異なりますが、『日本書紀』の一書から、もしかしたら、瓊瓊杵尊が四王子のことではないかとも思えますけどね。




 高千穂神社の夜神楽

 毎週土曜の夜にやっていました。
 神楽は33番あるうちの、岩戸5番の3番目だけで、天鈿女命の踊りと手力男命が岩戸を投げる場面。それでも30分ぐらいはかかりました。これは手力男命でしょう。

 高天原の伝承地は日本の各地に、朝鮮半島にもあるんですね。
 もともとはタガーマのハラン(?)だったら、仕掛け人は…秦氏かな。


 五ヶ瀬川

 神武天皇の兄・五瀬命(いつせのみこと)はこの五ヶ瀬川に関係がある名だとも言われています。五瀬命らは、この臼杵の高千穂の宮から東征に出発したのでしょうか? 記紀によると長い旅路の末にたどり着いた畿内の地で、登美彦の矢を受けて船中でなくなりました。もし生きていたら、五瀬命が初代天皇になっていたのかもしれませんね。それとも、やはり末子相続で神武天皇に決まっていたのでしょうか。

 


 高千穂峡

 高千穂峡は大昔、阿蘇の溶岩がここまで流れてきて、垂直に浸食された姿といわれています。

 


 真名井の滝

 左上から細く落ちているのが真名井の滝。

 


 高千穂峡に架かる神橋

 神橋の上に架かるのが高千穂大橋。渓流は割合ゆったりと動いています。
 あららぎの茶屋では「かっぽ酒」を飲ませています。 
 かっぽ酒は節のついた竹に酒を入れてカッポカッポと温めたもの。珍しいのと環境のせいか、おいしかったです。

 


 高千穂大橋

 神橋の上に造られた鉄製のアーチ橋。現在はもう一つコンクリートができています。
 この上を渡ったと思います。

 


 当時の高千穂町中心街 (観光パンフレットから)




 国見が丘の雲海(当時の絵はがき)複製禁止

 緑豊かな雲海の丘に立つと、気持ちも洗われて、神話のふるさとの感をいっそう深くします。実際にこんな感じでした。
 横山大観日本画のような風景。


  霧深き高野に立ちて見渡せば今日も明けゆく千木の村々(ひなもり)



 


 かるいを背負う乙女(当時の絵はがき)複製禁止

 今はどうか知りませんが、当時はかるいを背負った女性が、実際に野道を行き来していました。
 ただしパンフレットや絵はがきは観光用なので、かるい娘(かるいめ)もモデルさんかもしれません。

  

  朝早し小径に消ゆるかるい娘にあとを惹かれる五月の旅路(ひなもり)