花かけに 父もますかと すかし見ぬ
好みましけむ 大鏡にゑひ
中でも、上皇后(美智子)様の歌にはいつも心を打たれます。日々の暮らしや国民とのふれあいの中で心に浮かんだ素直な思いや愛情をつつみかくさず自然な表現で詠まれていますが、表現は控えめながらも、そのできばえは流れるように素晴らしいものです。
その上皇后様の和歌の御指導役を、皇太子御夫妻時代に務めていたのが、今回の歌人の五島美代子でした。そんな関係からか、五島美代子の短歌にもそれが当てはまるように思います。
五島美代子は明治31年(1898)の東京生まれで、昭和53年(1978)79歳で没した昭和の女流歌人です。
若年から佐佐木信綱に師事し『心の花』や『立春』で長く活躍。歌集に『新輯母の歌集』『暖流』『時差』『花激つ』ほか多数があり、専修大学の講師や教授も務めています。
その歌人・五島美代子の歌碑が西条市の武丈公園というところにあります。
小さな自然石の歌碑で、そこは私有地に入るのか、なかなか気づきにくいような場所ですが、
花かけに 父もますかと すかし見ぬ
好みましけむ 大鏡にゑひ
と刻まれています。
その側らには西条立春短歌会の銘文が建てられ、
五島美代子歌碑
歌は五島茂美代子夫妻が昭和四十年4月来条の際 当市出身にして歌人の先考石榑千亦を偲んで詠んだものである。
との説明書きがあります。
思い返してみるとかなり以前のことになりますが、最初にこの歌碑を見たときに「西条のこんな所に、なんで五島美代子の歌碑があるの?」 と不思議に思ってちょっと調べてみたことがありました。
この説明文にもあるように、五島美代子は同じ『心の花』の歌人であった五島茂と結婚していました。その茂の実父が『心の花』創刊時からの責任者の石榑千亦(いしくれちまた)で、五島美代子にとっては義父になりますが、実はその石榑千亦の生家がほかでもない西条市橘にあったのでした。
石榑千亦は金刀比羅宮が開設した皇典学会明道学校で短歌に親しんだあと、卒業後に上京して佐佐木信綱主宰の竹柏会(ちくはくかい)に入って『心の花』の編集を務めていたのでした。千亦は「帝国水難救済会」を創設して「海の歌人」とも呼ばれた人ですが、故郷西条には何度か帰省していたようで、石鎚山を詠んだ歌も多くあります。
故さとの 八幡の社の 木のめたち 舳先に光り 近々と見ゆ (石榑千亦)
父にむかふ 厳しさして 船の上ゆ いしづち山の 朝すがた見る (〃)
五島茂はその三男で歌人でしたが、同時に経済史学者でもあり、東京外国語大学や明治大学の教授も歴任し長命でした。昭和40年に西条市を訪れた当時は、夫妻で大阪に住んでいたようです。
西条市訪問の理由として考えられるのは、もちろん、西条が父の故郷であり、橘に実家があったからでしょう。
もう一つの理由としては、説明書きにもあるとおり、五島夫妻主宰の『立春』の支部が西条にも存在したからで、そのため会員からの招請もあったのでしょうか。
ただし、美代子の義父である石榑千亦は昭和17年にすでに逝去していますから、この作歌のときは花見に同席しておりません。 それでも、その義父が昔のように故郷の武丈公園の花かげで好きなお酒を楽しんでおられるのではないかと、ふっとそんな気がしてきて、花かげを覗いてみたというのでしょうね。歌には父と書かれていますが、正確には義父のことです。
それが千亦であることは、西条が義父の故郷でもあり、「大鏡」が地元醸造の清酒銘であることからも容易に理解できます。それでも、義父と書かれるよりは、父と書いてくれるほうがうれしいですよね。
五島美代子のこの歌は素朴ですがとても好感の持てる歌です。この歌を詠むと、立春のようにいつもほのぼのとしてきます。今はいなくても家族を慕う温かい心情と気遣いが伝わる歌です。
人生いいことばかりではありません。
昭和28年4月8日付で五島美代子が恩師の佐佐木信綱に宛てた手紙には、一首が添えられています。
わがせことわ子とたぐいて春の日の大き海ゆく大き幸はも
この手紙の二十年前に師から扇面(扇の地紙)に染筆してもらった歌だそうです。
そんな歌を思い出して手紙に添えているのも、昭和25年に長女が亡くなった後の辛い時期だったからだろうと察せられます。
まだうら若い長女を喪った哀しみは筆舌に尽くしがたいものがあるはずですが、その哀しみを乗り越えて、亡き義父を慕うこんな温かい歌が書けるのですから、歌人の言葉の力はやはりたいしたものだと感じ入ります。
夫の五島茂もまた、上皇陛下が皇太子の頃に、和歌のご指導役を夫妻揃って務めていました。石鎚山を詠んだ歌があります。
神の山 伊豫の高嶺に のぼる日に 燧の灘の 波光りあり (五島 茂)
父のくに 伊豫の高嶺は 四つの国 統へてさやけし 天雲のうへに(〃)
五島美代子にも同じく石鎚山を詠んだと思われる、こんな歌があります。
天雲を 分けのぼる影も うつるかと たぎつ山水 うつふして見つ (五島美代子)
今も春の陽射しの中に、歌碑はうららかに立っています。