鄙乃里

地域から見た日本古代史

西条の山頭火

 西条の山頭火

 
はっきり見えて水底の秋

   種田山頭火が西条を訪れたのは、昭和14年10月13日のことだった。

   評伝によると、山頭火が四国遍路の旅を思い立って、高橋一洵さんと松山を出立したのが10月7日。21日にはすでに小豆島に到着している。

  *その西条まつりも間近の頃に、遍路道、今の旧道を歩いてきた。西条を案内したのは地元の猪川さんという方だったそうだ。

 山頭火がやってきたのは加茂川の堤で、山を仰ぎ、川の景色を眺めたのだろう。猪川さんの短冊に、この句を書き残したそうである。それから加茂川の水を掌ですくって飲んで、「おいしい!」とも言ったとか。


   30年ほど前、その猪川さんらを中心に市内の研究グループが結成され、句碑の建立が発案されたようで、ライオンズクラブの賛助を得て、現在、加茂川河畔の武丈公園に、この写真のような立派な句碑が完成されている。 

   高さ2メートルの青石に、猪川さんが大切に保管されていたという短冊の直筆が拡大されて、そのまま彫り込まれている。 

   この句碑を眺めると、山頭火はその生き方だけでなく、文字も自由奔放で、ずいぶん達筆だったように思われる。

   世間一般の人から見れば、単なるうす汚れた旅の乞食坊主ぐらいにしか映らなかった(実際にそうだった)山頭火かもしれないのだが、やはり当時から、彼を知る人には知られていたというべきだろう。 
   この句碑の前に立ち、改めてそんな思いを強くした。 


  *『西条市生活文化史』によると、伊曽乃神社の例祭日が現在の15日,16日に定まったのは昭和15年からだとある。
   それなら、山頭火が来た14年当時はまだ22日、23日が例日だったのだろう。

 



   武丈公園の桜の下にある句碑の前には、西条ライオンズクラブによる説明文も刻まれているので、以下に、その内容を紹介しておきたい。 


*    *    *

  加茂川をうたう

          はっきりみえて水底の秋 
                                              山頭火 

   
 この句は、漂泊の俳人種田山頭火が四国遍路の途中、昭和十四年十月十三日、小松の香園寺を早朝出発し、「吉祥寺」「前神寺」の札所を巡り経てここ武丈堤に旅杖を止め加茂川の清流をすくって味わい詠んだものである。 

    ここに、郷土の自然の恵みの中から息ぶく市民の心を育むため、この句碑を建てる。 

                  平成三年十月十日           
                   西条ライオンズクラブ
 

 


 香園寺山頭火句碑(小松町) 

秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり    南無観世音おん手したたる水の一すぢ

 


 上の文章は句碑関係者の方から伺った話を中心に、建立当時の読売新聞愛媛版の記事、村上護著『山頭火─境涯と俳句』(昭和出版刊)なども合わせ参考にさせていただいたものです。