鄙乃里

地域から見た日本古代史

2021-01-01から1年間の記事一覧

14しか見えないのはなぜ? 竜安寺石庭

金閣寺から「きぬかけの道」をまっすぐ行くと竜安寺(りょうあんじ)です。今はたいてい龍安寺と書いています。 竜安寺の説明によると、宝徳二年(1450)室町幕府の管領職であった細川勝元が創建し、その子政元が再興したが、寛政9年(1797)に火災で焼失。…

回天の姿見ゆなり 大津島訓練基地

大津島 大津島は山口県の徳山沖にある細長い島で、旧日本海軍の回天訓練基地があった島として知られています。 昭和44年(1969)の訪島時には、徳山港から市営の巡航船が通っていました。 昭和46年12月の発着時間を見ても、粭島(すくもじま)経由の便もあり…

長崎の鐘はいのちのひびき 浦上天主堂と如己堂

長崎国際文化会館 昭和20年8月9日、広島に続いて長崎にも原子爆弾が投下され、長崎は一面の焼け野原と化しました。多くの人々が命を失い、その後も原爆症に苦しみました。 その原爆による惨状を広く伝え、核の廃絶、平和と復興の願いを込める意味から、昭…

あの夏の日の折り鶴 ~広島平和記念公園で~  

終戦後20年の昭和40年頃。このころは広島もようやく復興を果たし、平和公園にも観光客が訪れるなど、おだやかな空気が漂っていました。 しかし、平和公園の向こうに、高層ビルなどはまだ見られない時代で、原爆病院に、原爆症で苦しむ人の数は多かったのです…

南国の蒼天に映えて 高知城

南国土佐を後にして 都へ来てから幾歳ぞ… ペキー葉山さんの歌や「よさこい節」で知られる高知市は、関ヶ原の合戦後に山内一豊が入国以来24万石の城下町として栄え、令和の現在も32万5千人ほどの人口を擁する高知県の県都です。 太平洋に向かって開ける高知…

錦帯橋と鵜飼の城 岩国城

岩国城と岩国領 岩国城は山口県岩国市の横山山頂に江戸時代初期に築かれた城です。 錦帯橋の背後に横たわる城山のてっぺんに美しい南蛮造りの天守閣が建っています。 当時、毛利家の当主であった毛利輝元は、関ヶ原後に長州藩から3万石を割譲し、岩国領とし…

維新揺籃の地 萩城趾

長州藩 豊臣時代に毛利氏は中国地方の8ヶ国120万石を領有していましたが、関ヶ原の戦いで防長2国36万9000石に減封されて、本拠の広島城を失いました。そのため萩に新しい居城を造ることになったのです。築城地の萩は、いくつかの候補地を打診した中で徳川…

昭和のおもひで 浅草寺

浅草名所は観音さん 台東区浅草名所の浅草寺は聖観音宗の総本山で、正式には金龍山(きんりゅうざん)伝法心院浅草寺というそうですが、通称は「浅草観音」の名で親しまれています。 開創は推古天皇の時代といわれる歴史の古い寺です。 宝蔵門 徳川家光の時…

川岸に建つ漆黒の天守閣 岡山城

岡山城は市内を流れる旭川西岸の湾曲部の高地に築かれた平城です。 岡山城にも南北朝時代からの前史がありますが、豊臣時代に宇喜多直家の子、秀家が秀吉の養子になって肥前57万石を領し城を改修したのが始まりと伝えられます。 しかし、その宇喜多秀家は関…

新国宝指定の雲州松江城

松江藩と天守閣 松江城は松江市の中心部にある亀田山の頂上を本丸に利用した平山城(ひらやまじろ)で、堀の水は宍道湖から引いています。慶長16年(1611)堀江吉晴により築城された5層6階の天守閣が現存しています。 ただ、その堀江家は3代続いたあと嗣…

清正公の銀杏が残る 熊本城

足利時代末葉に熊本では菊池一族の出田秀信(いでたひでのぶ)が千葉城を、そして大永・享禄頃には鹿子木親員(かのこぎちかかず)が茶臼山の南西端に隈本城を構えていました。 その後、天正16年(1588)になって秀吉の家臣加藤清正が肥後半国25万石の領主と…

聖火輝く日

1964 東京オリンピック聖火リレー 道路の両側には黒山のような人だかり。早くからまだかまだかと聖火を待っていると、やがて遠くに白煙が上がり、ランナーが近づいてくる。そして目の前まで来ると、みんなが一斉に歓声を上げ、日の丸を打ち振り拍手を送りつづ…

祇園太鼓と小倉城

空にひびいたあの音は たたく太鼓の勇み駒 『度胸千両』のあばれ打ちで知られる小倉祇園太鼓。 「小倉名代(なだい)は無法松」と歌詞にあるとおり、北九州市小倉は、小説『富島松五郎伝』の作者、岩下俊作(1906-1980)の出身地です。 また、松本清張にもゆ…

東洋カープは広島城

広島城は天正17年(1589)毛利氏の当主、毛利輝元により築造されました。毛利氏の 本拠である太田川の広大なデルタに築かれたため、広島と名付けられたともいわれま す。 毛利氏は輝元の頃、中国地方の広範囲を領有していたのですが、関ヶ原の戦いで西 軍が…

キャラクターがいる? 伊予松山城

松山城 天守閣 日本に名城はたくさんありますが、人気の上では、伊予松山城は常に上位にランクされています。 松山城は愛媛県松山市にある城で、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名、加藤嘉明(かとうよしあき)が築城を始めた城です。 加藤嘉明は賤ヶ…

奈良薬師寺

《 目 次 》 東塔 西塔・中門・回廊 薬師如来像

飛梅伝説と太宰府天満宮

◇ 太宰府天満宮の参道 ◇ 梅まつりの日でしょうか すごい人出です 太宰府天満宮は昌泰(しょうたい)4年(901)に太宰権帥(だざいのごんのそち)として筑紫に左遷され、延喜3年(903)都をしのびながら、この地で没した菅原道真公が祀られている神社で、飛…

天翔る大天守閣 姫路城

昭和の大修理が終わった姫路城天守閣 2015年3月に平成の大天守閣修理を終えた姫路城は、抜ける青空の中に白亜の美しい姿を見せる日本屈指の名城です。 1993年には日本初の世界文化遺産にも指定されました。 しかし、明治から昭和の大修理を終えるまでの姫路…

奈良薬師寺 薬師如来像

薬師如来像 奈良薬師寺金堂の本尊「薬師三尊像」は中央が薬師如来座像、向かって右側に日光菩薩像、左側に月光菩薩像が脇侍として立っておられます。 薬師如来は東方浄瑠璃浄土の仏で医王如来とも称されます。白鳳時代の仏像か、天平時代の仏像か、正確なと…

奈良薬師寺 西塔・中門・回廊

奈良薬師寺 西塔・中門・回廊 奈良の薬師寺は、藤原京にあった薬師寺を平城京遷都の際に西ノ京に移築もしくは新築したものと伝えられます。藤原京にはかなり後代まで本薬師寺(もとやくしじ)が存在したらしい記録から推察すると、様式を踏襲しつつ、やはり新…

奈良薬師寺 東塔

奈良薬師寺東塔 奈良薬師寺東塔(とうとう)は天平時代に完成したものといわれますが、藤原京から移設したものか、平城京遷都後における新築かについては、まだ十分に解明されていないとのことです。たとえ、新築であっても本薬師寺の様式を再現しているため…

回想・明日香路の旅

奈良県明日香村へ行くには、大阪方面からだと難波から近鉄奈良線で西大寺で乗り換えて1時間余で飛鳥駅に着きます。当時は手前の橿原駅で降りると岡寺行きのバスが出ていました。 次の飛鳥駅で降りると、今は「赤かめ周遊バス」という便利なバスが出来ている…

神武東征の旅

《 目 次 》 高千穂降臨伝説 笠沙の崎は都井岬? 東征会議の高千穂宮 橿原宮で即位・建国

法隆寺の魅力

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 現在の法隆寺は斑鳩の里に1320年余の歴史を刻む木造建築で、境内は西院と東院に分けられます。 五重塔や金堂があるのが西院で、夢殿があるほうが東院です。東院は創建当時の斑鳩宮跡といわれ、西院は焼けた若草伽藍のあった斑鳩…

神武東征の旅4 橿原宮で即位・建国 

高島宮での準備が整い、『日本書紀』によると、いよいよ戊午の年春2月11日に高島宮を出発して、難波から河内へ進軍しました。 その途中、速吸門(はやすいのと)で椎根津彦(しいねつひこ)に出会って水先案内をさせたことが『古事記』に書かれています。こ…

神武東征の旅3 東征会議の高千穂宮 

『日本書紀』には若三毛野命(神武天皇)が45歳のときに兄弟や子どもたちに東征の話をしたこと。『古事記』にも高千穂宮で長兄の五瀬命と二人で東征の相談をしたことが書かれていますが、中味はそれだけで、この高千穂宮がどこの高千穂宮なのかまるで不明で…