奈良の薬師寺は、藤原京にあった薬師寺を平城京遷都の際に西ノ京に移築もしくは新築したものと伝えられます。藤原京にはかなり後代まで本薬師寺(もとやくしじ)が存在したらしい記録から推察すると、様式を踏襲しつつ、やはり新規に造営したものではないでしょうか…。
しかし、天平当時の薬師寺の壮大な伽藍は、東塔を残して後世の戦乱(1528)のためすべて焼かれてしまったということです。
その後の西塔は450年間も礎石だけが残り、雨水の溜まった窪みに隣の東塔がきれいに映っていたとのことですが、金堂に続いて昭和56年(1981)に現在の姿に再建されました。
西塔の心柱の礎石には「仏舎利」と澤田政廣作の「釈迦涅槃小像」その他の品が納められているそうです。
西塔も東塔を見本にして造られているのですが、創建時の設計により再建されているため、基壇を80センチ高く取っているのをはじめ、東塔よりも全体に高くなっているそうです。ほかにも連子格子(れんじこうし)の窓を造っているなど東塔との違いがありますが、これは東塔のほうが年月を経て沈んだり、修復の際に部分的に変更された結果とのこと。
西塔は再建後年月を経ないため、東塔に比べると、いかにも造りましたという感じはありますが、実はこれが本来の創建時の姿だそうです(それはそうだね)。
西塔に続いて中門が昭和59年(1984)に復元され、その中門に続く回廊も造られました。
回廊は現在、正面と東西が完成しています。まだ講堂までは繋がっていませんが、将来的には創建時のように繋がり、金堂と東西両塔を取り囲むように計画されているようです。
新しい回廊越しに見る堂塔の姿はとても美しく、年月とともに風格を増してくることでしょう。
薬師寺のこれまでの復興には関係者のたいへんなご苦労と、多くの人たちの尽力の積み重ねがあったものと想像されます。