松江城は松江市の中心部にある亀田山の頂上を本丸に利用した平山城(ひらやまじろ)で、堀の水は宍道湖から引いています。慶長16年(1611)堀江吉晴により築城された5層6階の天守閣が現存しています。
ただ、その堀江家は3代続いたあと嗣子がいなかったため、寛永10年(1633)に断絶してしまいました。
その後の松江藩には京極忠高を経て、寛永15年(1638)に徳川家康の孫・松平直政(なおまさ)が信州松本城から転封してきました。そして、明治2年(1869)の版籍奉還まで松平氏10代が藩主として治めています。
松江城の天守閣は最上階が望楼式で、下層の周囲に黒い下見板が張ってあり、入り口に附櫓(つけやぐら)があります。ほかに千鳥が羽を広げたような三角形の入母屋破風がついているところから、別名が千鳥城と呼ばれるようになったとのことです。
天守閣の外観は細かい部分を除くと築城当時とあまり変わっていません。火災に遭っていないので、歴史の古い城です。明治の初め頃には廃城令によりこの天守閣も売りに出されたようですが、旧藩士や篤志家により買い戻されたと伝えられます。
松江城は古い絵葉書等を見ると国宝と書かれているものもあります。たしかに以前は旧国宝だったのですが、法改正により実際には途中で重文に変わっていたのです。しかしこの2015年7月8日、新たに松江城が天守閣で5つ目の国宝指定を受けたことから、県内外からの観光客も増えて話題になっているところです。
天守閣そのものは国宝になっても変わっていないのですが、お城周辺の公園環境は以前と比べてかなり変化しているように見えます。通路の植え込みも、今ではずいぶん成長している様子です。以前は天守の入口付近に白い標柱がありました。この天守閣には何とか登っています。
松江城の西方にある月照寺は松平氏代々の菩提寺です。初代松平直政が生母・月照院の名に因んで月照寺と名づけて再建したとのことで、月照院の墓所とともに、松平氏9代までの藩主の廟があります。
月勝寺にあるこの石の亀の伝説や加賀の潜戸(くけど)の話を『知られざる日本の面影』に書き残している小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居と記念館は、松江城の堀のすぐ北側にあります。
ハーンが氏族の娘・小泉節子と結婚し暮らしたところで、 地元ではヘルンさんと呼ばれていました。
記念館には背の高い机があり、これはハーンの眼がわるいため、用紙を眼に近づけないと文章が書けなかったからだそうです。この旧居も庭もこじんまりした印象ですが、1年余り暮らした松江の体験から、日本に関する名編が次々と誕生していったのでしょうか。
大関ながら史上最強の力士といわれた雷電が、7代藩主・松平治郷のお抱え力士だったからだそうです。
7代藩主・松平治郷はその号の一つから不昧公(ふまいこう)とも称され、茶の湯や茶道具に造詣が深かったことから不昧流の茶の祖とされています。松江では不昧公の名もよく知られています。
松江城天守閣は創建年が確認されて、とくに築城当時の姿をそのまま残しているところから、国宝に指定されているものと思います。