奈良薬師寺金堂の本尊「薬師三尊像」は中央が薬師如来座像、向かって右側に日光菩薩像、左側に月光菩薩像が脇侍として立っておられます。
薬師如来は東方浄瑠璃浄土の仏で医王如来とも称されます。白鳳時代の仏像か、天平時代の仏像か、正確なところは分かりませんが現在、三像とも国宝に指定されています。
その黒褐色の肌はまるできのう造られたかのようにつやつやとして滑らかです。もともとは金メッキが施されていたそうですが、年月の経過とともに矧がれ落ちて現在のような銅色に変わってしまったといわれます。当初の金ぴかもわるくはないのですが、風雪により古色を醸し出している現在の肌色もまた美しいものです。
薬師如来像が座る台座の浮彫文様もシルクロードの国際色がよく反映されているもので、やはり国宝指定になっています。
中央の薬師如来像の風格ある姿に対して、両脇の菩薩像はむしろ官能的で女性的な姿を見せていて、大陸文化(シルクロード)の影響を濃厚に受けたものでしょうか、天平文化のグローバル性、多様性をよく表現している仏像だと思います。
この薬師三尊像が納められていた金堂は享禄元年(1528)の戦火に焼かれたあと、江戸時代に仮金堂が造られたままでしたが、高田好胤(たかだこういん)元管主(管長)の「百万巻の写経勧進」という方法により、昭和51年(1976)4月に約450年ぶりに本格的に復興されました。
金堂工事の期間中、薬師三尊像は宝蔵院の西側に造られた仮堂へ、そして台座のほうは宝蔵院へ一時的に移されていたとのことです。
仏像は本堂内では撮影禁止となっていましたから、堂外から薬師如来像だけをアップで撮影したものです。
薬師寺にはもう一体、素晴らしい仏像があるのです。回廊の外にある東院堂の聖観音菩薩立像で、白鳳時代の作とされる国宝です。私は見ていませんが、ここには水煙(すいえん)の実物大複製もあったようなので、会津八一の東塔の歌は、これを参考にしたのかもしれませんね。
今回の東塔の大改修では、古来の水煙はリタイアして保存されることになり、新たに制作された水煙が取り付けられるそうです。この点は大きな変更点ですね。
それにしても、こんなに大きな国宝の仏さまを、どうやって兵火から護ったのでしょうか。考えてみると不思議です。
藤原京の本薬師寺は、天武天皇9年に皇后の病気平癒を願って建立されることになり、持統天皇11年に本願の仏像を開眼したと書かれていますが、これが薬師如来像なのでしょうか? また、のちの文武天皇2年には(寺の)造営が終わって僧たちを住まわせたと国史に記されています。
奈良遷都に際して養老2年(718)に平城京に移されたものが現在の薬師寺で、伽藍全体の構えが整ったのは天平2年(730)頃ではないかとされているようです。
唐の玄奘三蔵につながる法相宗(ほっそうしゅう)の大本山で、大仏造営に関わった行基菩薩もこの法相宗の僧でした。行基(ぎょうき)は諸国を巡って土木工事を指導したり、その地に道場を残したりしましたが、それが各地の薬師寺になっています。地方の薬師寺は関連する真言宗に変わった寺も多かったようですが、今も各地に多く存在しています。
『日本霊異記』の著者である景戒(きょうかい)も薬師寺の僧だったようです。
薬師寺再興余話
余談です。昭和時代の橋本凝胤(はしもとぎょういん)元管主は、唯識流の天動説を堂々と唱えたり、どちらかといえば仏教僧・仏教学者として筋の通った厳格な人のようでしたが、薬師寺再興の悲願はもっていたと思います。
一方で弟子の高田好胤元管主は、実際に金堂再建の発願を興し「百万巻写経勧請」という方法で薬師寺の再建に生涯を捧げました。
一時期テレビのワイド番組に毎日のように出演して、くだけた法話や人生相談もどきのことを続けていたので、坊主がテレビにばかり出て…と一部では批判されたこともあったようです。しかし、それもこれも、一般の視聴者国民に仏教に親しんでもらい「百万巻写経勧請」を達成するための一つの方便であったかと、あとから思い当たる人も多かったのではないかと思います。
そして、その浄財により、とうとう長年の悲願であった薬師寺金堂の再建を実現し、続いて西塔までも再建したのでした。
実際の再建工事に当たっては、西岡棟梁という希有の宮大工に巡り会った幸運も大きいものがあったように思われますが、それも、管主の一念のたまものでしょう。
現在もこの写経勧請(しゃきょうかんじょう)は継続されて、その納経料は資金的にも薬師寺再興の大きな柱になっているようです。また立派な建造物が次々再建されたので観光客も増え、そちらの拝観料も入るでしょう。
人事や自然の営みは単なる外観だけでは計り知れないものです。まさに、その真意は天地のみぞ知る…ということでしょうか。
私たちもコロナ禍や災害多発など苦難の時代ではありますが、知恵と決意をもって、みんなで助け合い懸命に努力すれば、あるいは、道は自ずと切り開けるのかもしれませんね。また、そう願いたいものだと思います。