鄙乃里

地域から見た日本古代史

2020-01-01から1年間の記事一覧

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?

《 目 次 》 斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(1) 斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(2) 斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(3) 斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(4)

嵯峨天皇は寂仙菩薩の生まれ変わり

嵯峨天皇は寂仙菩薩の生まれ変わり 昔むかし奈良の都を治められた聖武天皇と孝謙天皇の御代に、上仙菩薩(じょうせんぼさつ)という修行僧が伊予国に住んでいました。神野郡(かんのぐん)の人で、その出家名を寂仙ともいいます。 現在も愛媛県新居浜市に一…

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(4)

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(4) 伊予説の磐瀬行宮について 熟田津石湯行宮と朝倉宮の中継点になる磐瀬行宮(いわせのかりみや)は、伊予説によると(筑紫ではなくて)、伊予国宇摩郡(四国中央市土居町)の津根宮です。 その津脇の森に創建さ…

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(3)

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(3) 伊予説 最後は伊予の朝倉説です。全国的には必ずしもポピュラーとは言えませんが、史料はかなり詳細なものがあります。 越智郡(現在の今治市)の朝倉は古代において伊予の国府が存在した地域内にあります。古…

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(2)

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(2) 土佐説 土佐説の朝倉宮比定地は高知市朝倉に鎮座する朝倉神社です。朝倉神社は土佐二の宮で延喜式内社ですが、この土佐朝倉説は、昔はかなり有力な説だったようです。 『土佐国風土記』にも、古社であることが…

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(1)

斉明天皇の「朝倉橘広庭宮」って どこ?(1) 『日本書紀』によると、西暦661年に百済救援のため征西した斉明天皇が磐瀬行宮(いわせのかりみや)から朝倉宮に移ります。正確には朝倉宮と朝倉橘広庭宮となっていますが、この朝倉宮の比定地が3個所あるのを…

「いでな」か?「こな」か? ~熟田津の歌~

「いでな」か?「こな」か? ~熟田津の歌~ 『万葉集』(巻1、8)に額田王の有名な歌があります。 熟田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな (武田祐吉校註 角川文庫) 高校の古文にも出てくるので、よくご存じかと思います。 では、これは…

小千益躬と鉄人退治

小千益躬と鉄人退治 小千益躬(おちますみ)公は西暦600年前後に活躍したとされる伊予の国人です。 『予章記』に「府中樹下に御館あり、故に樹下の押領使と号す」とあり、樹下の押領使・越智郡大領・伊予国守などとも記され、鴨部大神(かんべのおおかみ)と…

「伊豫の湯」の聖徳太子の侍(おとも)は誰?

「伊豫の湯」の聖徳太子の侍(おとも)は誰? 『伊豫国風土記』には聖徳太子が伊豫の湯を訪れた際に碑文を残したことが記されています。その碑は発見されていませんが、詩文は卜部兼方の『釈日本記』に引用されて逸文として残っています。 それによると聖徳…

『源氏物語』と伊予の湯桁

『源氏物語』と伊予の湯桁 「伊予の湯桁」(いよのゆげた)とは数が多いことの例えで使われている言葉ですが、地方のみならず京(みやこ)においても、ずいぶん昔から流布していた流行語のように思われます。 紫式部の『源氏物語』にも「伊予の湯桁」の話が…

古代「伊豫の湯」は道後温泉? まとめ

古代「伊豫の湯」は道後温泉? まとめ 1.斉明天皇が百済救援のため西征時に逗留した伊予の熟田津は、松山市でなく愛媛県 西条市である。 2.したがって熟田津の石湯、つまり古代「伊豫の湯」も「行宮」も当然、西条市であ る。 3.古代「伊豫の湯」を道…

古代「伊豫の湯」は道後温泉?

《 目 次 》 1 真実の探求は前提に対する疑問から 2 『伊豫国風土記』の湯郡と道後温泉 3 少彦名の温泉譚は地名説話 4 白鳳大地震と伊豫の湯 5 道後温泉は、熟田津石湯? 6 道後温泉 ~二つの誕生説話~ 7 山部赤人と伊豫の湯(1) 8 山部赤人と伊…

26.古代「伊豫の湯」~結び~

26.古代「伊豫の湯」~結び~ 古代「伊豫の湯」に関する記事のうち、最初に登場するのは『古事記』の軽皇子の「伊余湯」配流である。次ぎに『日本書紀』に登場する舒明天皇の「伊豫温湯宮」と斉明天皇の「熟田津石湯行宮」、白鳳地震の「伊豫湯泉」がある。…

25.熟田津石湯の地は?(14)~島山のこと 2~

25.熟田津石湯の地は?(14)~島山のこと 2~ 天保13年(1842)完成の『西條誌』にも、「歌枕名寄(うたまくらなよせ)」や「伊豫國名所歌盆石圖」からとして、「島山(しまやま)」を詠んだ歌がいくつか紹介されている。 雲間より 入日にまかふ 志万山の…

24.熟田津石湯の地は?(13)~島山のこと1~

24.熟田津石湯の地は?(13)~島山のこと1~ 最後に、以前に話した「島山」の件について触れておきたい。 山部赤人の万葉歌(巻三322)に、 皇神祖の 神の命の 敷います 國のことごと 湯はしも 多にあれども 島山の 宜しき國と こごしかも 伊豫の高嶺の …

23.熟田津石湯の地は?(12)~橘の里と伊豫郷~

23.熟田津石湯の地は?(12)~橘の里と伊豫郷~ 先述の自然災害の件に関しては『旧故口伝略記』に以下のように書かれている。 ニギタヅ村、後にニギタ村と申す。其の後天文年中の大水大汐に在家過半流れ、是より家や村は南山の麓に建てこの家も天正の兵火…

22.熟田津石湯の地は?(11)~橘天王の石湯と五度の行幸~

22.熟田津石湯の地は?(11)~橘天王の石湯と五度の行幸~ 『旧故口伝略記』には「橘天王が石湯を造った」との記事が見える。これを古代「伊豫の湯」の石湯と混同される人がおられるかもしれないが、湯の岡が昔から存在するように、古代「伊豫の湯」の石湯…

21.熟田津石湯の地は?(10)~古代「伊豫の湯」と災害~

21.熟田津石湯の地は?(10)~古代「伊豫の湯」と災害~ 684年の白鳳地震により古代の『伊豫の湯』が壊没(かいぼつ)して出なくなった。これは『日本書紀』に書かれている。その後の工事により湯脈は回復していたらしいが、古来の湯池が損壊して周囲の美…