鄙乃里

地域から見た日本古代史

嵯峨天皇は寂仙菩薩の生まれ変わり

嵯峨天皇は寂仙菩薩の生まれ変わり

 昔むかし奈良の都を治められた聖武天皇孝謙天皇の御代に、上仙菩薩(じょうせんぼさつ)という修行僧が伊予国に住んでいました。神野郡(かんのぐん)の人で、その出家名を寂仙ともいいます。
 現在も愛媛県新居浜市に一宮神社(いっくじんじゃ)がありますが、上仙はその社家の一族の出身で、幼名は千寿丸といいました。長じると出家して隣の周敷郡(すふぐん)にある法安寺の高僧・灼燃(しゃくねん)の弟子になりました。そのため寂仙法師(じゃくせんほうし)とも呼ばれていたのです。そして四国の霊峰石鎚山に籠もって、厳しい浄行の日々に明け暮れていたのでした。

 奈良薬師寺の僧・景戒(きょうかい)の日本霊異記には、寂仙法師について次のような話があります。

 石鎚山の寂仙菩薩、寿命を終えて、神野親王(かみのしんのう)として        生まれる 

  伊豫国神野郡(かんののこおり)に山があって、石鎚山という。その山に宿る石槌(いわつち)の神の名を取ったのである。その山は高くて険しいため、尋常の者には登ることが出来ない。ただ身を浄め修行する者だけが登ることが出来、そして、そこに留まることが出来た。

   むかし奈良の都に25年間日本国をお治めになった聖武天皇の御世に、また同じ宮に9年間をお治めになった女帝孝謙天皇の御世に、その山に身を浄め修行をする高僧がいて、名を寂仙菩薩といった。当時の僧も民も、山岳修行にいそしむ寂仙禅師の姿を見て感銘を受け、称賛し尊敬して菩薩と呼んだのである。

 孝謙天皇の御代の9年、天平宝字2年(758年)の年に、寂仙禅師は自分の寿命が尽きる日に当たって、文書に記したものを弟子に与えて、こう告げた。「私が亡くなって28年間を経過した後に国王の御子に生まれ来て、その名を神野というであろう。この事実から、その御子が私、寂仙であることを知るがよい。……」と。

 こうして28年が経過。平安の都に国をお治めになった桓武天皇の御世の延暦5年(786年)に天皇の皇子に生まれて、その御名を神野親王と名付けられた。今、都に14年間続けて国をお治めになっていらっしゃる嵯峨天皇が、この方である。このことから、嵯峨天皇は聖君であることが知られるのである。
                                                                 

 嵯峨天皇延暦5年(786年)9月7日に桓武天皇の第2皇子に生まれ、大同4年(809)4月1日に即位された天皇です。即位以前の諱(いみな)は神野(賀美能)親王といいましたが、それは伊予国神野郡出身の乳母の名を取ったからなのです。
 そのため伊予国の神野郡は天皇の諱(いみな)に遠慮申し上げて、大同4年9月に新居郡(にいぐん)に郡名変更したのでした。
 
 現在、新居浜市一宮神社近くの郵便局前に宮司家である矢野氏代々の墓所があり、そこに上仙菩薩の奥津城碑石が建てられています。

 その碑文によると上仙は、

当地の一宮神社(いっくじんじゃ)社家矢野実遠の第二子として生まれ、幼名は千寿丸。仏門に入って寂仙法師とも呼ばれ、石鎚山系で修行。萬願寺、正法寺、善成寺、上仙寺等の名刹を開いた

とのことです。

 天正の陣で焼失した萬願寺の近くにその墓所があったが、昭和37年に遠孫に当たる方が上仙菩薩の霊を慰め、また遺徳を偲ぶために、笹ヶ嶺山麓から碑石を採取してこの地に奥津城(おくつき)を営んだ…との説明も刻まれております。

 

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上仙菩薩頌徳碑


 ただ、この碑文の内容には若干、疑問を感じる点もあります。千寿丸を矢野実遠の子としているところです。

 それは『姓氏家系大辞典』(太田亮編著)に、矢野系図に云うとして、以下の系図が認められるからなのです。

(越智)玉守……益興……益連……實連……實遠(橘)……實幸……實保……貞保……遠保
              千壽丸

 この系図では千寿丸は実遠(實遠)の子ではなく、益連の第2子になっています。それに実遠は嵯峨天皇時代の人とされていますから、それなら758年に遷化した上仙菩薩よりは明らかに後の人ですよね。したがって、年代的にはこちらの系図のほうが合っているようなので、上仙を実遠の子としている碑石の撰文が本当に正しいかどうかは分かりません。誤認している可能性もあるでしょう。

 一宮神社の由緒によると、その創建は小千益躬(おちますみ)によると伝えています。羽柴秀吉の命による天正の陣(1585)で、小早川隆景の軍勢が神社を焼き払ってしまったところ、その後の毛利家には不幸が続いたそうです。それを寂仙菩薩や嵯峨天皇のたたりと怖れた毛利氏は、のちに神社を再建し、萩の城下にも勧請しました。

 一宮神社の主祭神大山積神です。 現在も新居浜市の一宮神社には嵯峨天皇から奉納された神額が、半分は損傷していますが、社宝として伝えられているようです。

 もちろん、それはそうでしょう。
 嵯峨天皇は…上仙菩薩の生まれ変わりなんだから。 

 

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