鄙乃里

地域から見た日本古代史

私説 伊勢神宮遷座物語 外宮の神様ってだれ?(2)

 私説 伊勢神宮遷座物語 外宮の神様ってだれ?(2)

 伊勢神宮天武天皇のころまでには、すでに二所に別けられていたようですが、内宮の祭神が入れ替えられようにも思われます。なぜそのように考えるかといえば、外宮の正宮の様式が男式になっているのに、内宮の正宮では女式になっているからです。直接の証拠はないから正しくは分かりませんが、持統天皇のころではないかと想像されます。

 式年遷宮の始まり
 内宮の式年遷御の始まりは持統天皇4年(690)といわれています。外宮は持統天皇6年(692)です。式年遷御といっても当時は正宮だけだったようですが、この持統6年というのが、どうもあやしいのです。『日本書紀』にあるように、この年の3月に持統天皇が伊勢に行くことを宣言したところ、中納言三輪朝臣高市麻呂が職を賭して何度も止めています。この「三輪」というのが、あやしいのですよね。それでも天皇は従わないで行幸しました。それがこの外宮遷御の年なんです。どうやら何かがあったようです。

 この時代は倭王権が律令制による中央集権国家成立に向けて邁進していた時代です。政治だけでなく祭祀の面でも天皇家を中心とした日本の秩序立てを考えていた時期で、どうしてもその中心となる皇室の氏神が必要だったものと思われます。それを伊勢神宮に求めたのではないでしょうか。

 天武天皇の時代に決定された遷宮の目的についてはいろいろ考えられていますが、常に神殿が清浄な状態に保たれることにより、祭神が和魂の状態を存続できること、つまり太陽神の不断の再生のためではないかと思います。禊ぎの代わりと言っていいのかもしれません。それに掘立柱高床式の木造建築が最良の状態を維持するには、古くは20年ぐらいが限度だったのかもしれないですね。

 両宮の祭神について
 いずれにしても祭神が代わると、外宮の豊受大神の母神としての役割は必要性がなくなりますから、残るのは御饌津神としての性格だけです。しかし、その方が朝廷にとってはむしろ都合がよかったのかもしれません。外宮の豊受大神を内宮の天照皇大神の御饌津神という神格に定着できたからです。豊受大神の内実が何かは分からなくても、「内宮に食事を差し上げる豊穣の神様なのかな」と人に納得がいく説明が可能です。

 そこで必要性がなくなった母神としての豊受大神の神格を、旧来の名である「萬幡豊秋津師比売命」に戻して内宮の相殿に祀ったのではないかと思われます。それまでの内宮の相殿には思兼神と手力男命、天児屋命太玉命が左右に祀られていたのですが、思兼神に代わって萬幡豊秋津師比売が祀られることになったようです。

 思兼神は思慮の神とされて、本来なら天照大御神の岩戸開きに手力男命とセットで必須の神です。また『古事記』の天孫降臨に際しても、天照大御神が思兼神に八咫鏡を持たせてその祭祀を命じています。なので、思兼神は形式上からいうと、天照大御神の形代である神鏡の側に仕えていないといけないはずなのです。

 萬幡豊秋津師比売も天忍穂耳命の嫁には違いないのですが、この組み合わせではやや不自然に映ります。また、天忍穂耳命が祀られていないのに萬幡豊秋津師比売だけが祀られているのもなんだかおかしいですし、第一、天孫降臨の一行の中に萬幡豊秋津師比売の名は書かれていません。
 
 それでも、どうしても内宮に遷したい事情があったので、兄の場所にしたのだろうと思われます。『倭姫命世紀』では[付記]の中で相殿神の中に萬幡豊秋津師比売の名がすでに出てきますが、それは相殿神が決まってから後世に書かれたものだからです。それまでは萬幡豊秋津師比売の名は天孫降臨の段にもなく、神宮内のどこにも見受けられなかったのですが、それが突如、顕現してきたのです。それは、外宮の豊受大神から遷されたからだろうと思っています。

 その後に天児屋命太玉命は外宮のほうに遷されました。それぞれの正宮にふさわしい命が相殿で祭神をお護りしている形式にしたのだと考えられます。
 ただし、天児屋命太玉命豊受大神の守護をしているわけではありません。豊受大神はすでに御饌津神という神格に定着してしまっているから護る必要性もないのです。外宮の相殿には瓊瓊杵尊が祀られているため、陪臣として、その天孫を守護しているわけです。

 瓊瓊杵尊
 瓊瓊杵尊がいつ外宮に祀られるようになったのかは分明でありませんが、たぶん、天児屋命太玉命が外宮に移されたのと同時期かな、との推測はしています。両宮の神主が渡会氏と荒木田氏に定まった持統天皇の御代あたりではないでしょうか? 後代の書には「外宮が出来たときに」というような記事もたしかに見られるのですが、それなら萬幡豊秋津師比売命は外宮から遷さないでもよかった?かもしれません。瓊瓊杵尊の相殿の件はあまり公にはされてこなかったようですから、何かほかに事情があったからか、それよりは後の話ではないかと思っています。


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