鄙乃里

地域から見た日本古代史

籠神社 ~結び~

 籠神社 ~結び~

 そういうわけで、籠神社奥宮(真名井神社)と伊勢神宮外宮の豊受大神は「萬幡豊秋津師比売命(栲幡千千姫)」であったとするのが、最初に書いている私見です。両宮にまつわる様々な疑問を納得できるような形で理解するためには○のところにこの女神を入れるしかないように思われたからでした。

 豊受大神は『古事記』に書かれているような和久産巣日神の子でもなく、もちろん御酒殿の豊宇賀能売でもないでしょう。ましてや、天御中主神・国常立神でもありません。おそらくは、その豊宇賀能売(豊宇賀能売はもしかしたら豊受大神の仕女の意味で、あの竹野姫のことかも)ら八乙女が豊の国から丹波へ奉斎してきた穀物と織物の女神であり、籠神社祭神の子守の神でもあった萬幡豊秋津師比売命が最もふさわしいのではあるまいか? その女神の丹波地方における神名を「豊受大神」と解してみてはどうだろうか?…というのが、筆者(ひなもり)の推論です。

 それは以前から漠然と感じていた疑問に加えて今回、籠神社のホームページからもヒントを得て考えられたものです。もちろん、記事中の一々が必ずしも事実に適合している保証はなく、全体が推論と仮説によりまとめられた話に過ぎないのですが、少なくとも自分にとっては、どの既説よりも得心が行くものです。…というよりも、むしろ豊受大神に関してはこれまでにまともな説が一つもなく、新しい説も何ら提唱されていないのが実情といった方がいいのかもしれません。

 もちろん、仮説とはいっても、何でも書いていいわけではありません。古代史はいたって曖昧模糊とした分野だけに、反対に、できるかぎり具体的な事実から出発する努力をしないと、史料や伝承にすがって想像を膨らませるだけの抽象論では逆に混迷を深め、堂々巡りの徒労に終わることも多いでしょう。

 例えばの話ですが、海部氏系図の冒頭部分はこのように書かれています。他の系図と比べてみました。

 [天皇家の系譜]  瓊瓊杵尊火遠理命…鸕鷀草葺不合尊…神武天皇
 [尾張氏の系譜]  天火明命天香語山命…天村雲命…天忍人命
 [物部氏の系譜]  天火明命天香語山命…天村雲命…天忍人命
                        饒速日命…宇麻志摩治命…彦湯支命…出石心大臣命
 [海部氏の系譜]  天火明命天香語山命…天村雲命…倭宿禰

 最もオーソドックスな系譜ではこのように考えられているかと思います。どれも完全に正しいとは言い切れないかもしれませんが、この系譜に従うとして、記紀によると天火明命饒速日命)は長髄彦の妹の御炊屋姫を娶っています。その長髄彦神武天皇は戦っています。したがって物部氏の系譜からいえば、その戦いは、天火明命饒速日命)の時代でなくても、天香語山命・宇麻志摩治命の時代あたりの出来事を指していると考えられます。

 ところが海部氏の系譜の4代目には倭宿禰命がいて神武天皇畿内に案内した珍彦(うずひこ)だとして、籠神社の境内に亀に乗った浦島太郎のような神像が見られます。椎根津彦、つまり倭(やまと)国造の先祖です。ですが、この二代の差は問題でしょう。

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 たしかに天皇家の系譜も同様で海部氏系譜と世代は一致していますが、天皇家の系譜は日向三代のうち山族・海族の神話を除くと他の系図と適合するのです。しかし、海部氏の4代目倭宿禰命は自家の系譜にも矛盾しているように思われ、天皇家の系譜に都合よく合わせたのではないかと解釈されるかもしれません。

 『国造本紀』には「吾は是、皇祖彦火々出見命の孫椎根津彦なり」とあるので、海部氏の実際の先祖は豊玉彦で海神だったのかもしれません。海部氏はだいたい阿曇の一族でしょう。それが養子かなんかは知りませんが、『勘注系図』で尾張氏の4代目にくっ付けられているのでしょう。そのため、先祖を天火明命とか彦火々出見命とか、いろいろ云っているのかもしれない。彦火明命はその中間を取った名です。

 『日本書紀』(一書)にも天火明命尾張連の遠祖とのみあり、海部氏は出ていません。真名井神社は一時期、彦火々出見命を祀っていたのに養老3年から籠神社を号し、彦火明命に変えています。籠神社が天火明命を祖神として祀るには系図からも意味があると思いますが、実際の丹後の海部氏の先祖は、宿禰命からではないかと思いますよ。

 事例が適当でなかったかもしれませんが、たとえ伝承であっても、なるべくトータルで事実に近いと考えられる事象から出発して系譜がなぜそうなっているかを検証していかないと、むやみに既成の系図だけを鵜呑みにして時代を考証しても問題が発生するかもしれないということです。
 そうしたケースは古代史では往々にして見られ、そのため不毛な思考に陥ってしまう場合も多いと思われます。したがって、ほんの小さな事柄でもいいのですが、事実に近そうな話から出発することが大切で、そこから編み目を広げていって結果的に自分に納得できるものが得られれば最善だと思っています。一度に大きなところへ行く必要はないのです。

 「三代古系図」とは題したものの肝心の系図の中身はぜんぜんでしたが、知らないので、これで『海部氏系図』(国宝)は終了です。

 ありがとうございました。

 

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