鄙乃里

地域から見た日本古代史

もみじ彩る洛西の山寺 三尾

 高雄山 神護寺

 高雄や清滝へ行くのは、たいてい秋の紅葉が目的です。アクセスは、JR京都駅から高雄行きのバスが出ています。この日は朝の7時過ぎに周山(しゅうざん)行きのバスに乗って高雄まで行きました。40分ほどかかります。

 バス停から高雄橋まで歩き、橋を渡ると、そのまま山道を登って神護寺(じんごじ)へ。石段や坂がやや長く、徒歩で20分ぐらいはかかります。

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 高雄山神護寺 本堂前の石段  最後の石段ですが、結構あります

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 神護寺の正式の名称は「神護国祚真言(じんごこくそしんごんじ)」と書かれています。

 和気清麻呂(わけのきよまろ)が造った高雄山寺神願寺に始まり、伝教大師法華経の講演)や弘法大師に縁の深いお寺といわれます。

 とくに唐から帰国した空海がこの地に住して鎮護国家の修法を行なったようで、この寺で弟子や最澄らにも密教の灌頂(かんじょう)を行なっています。 

 灌頂(かんじょう)とは密教の仏(大日如来)と縁を結ぶための密儀で、カトリックの洗礼式のようなものです。

 最澄らには金剛界胎蔵界の灌頂を行なっていますが、弟子ではないので当然、伝法灌頂は行なっていません。 

 その後、寺は一時期衰退しましたが、平安末期から鎌倉時代にかけて僧・文覚、その弟子・上覚明恵などにより、再興されたと伝えられます。

 自分ではもう覚えていないのですが、和気清麻呂の廟と墓もあったらしいですね。


 神護寺では、金堂前にある石段の長さがよほど印象深かったらしく、何枚も写真に写しています。それでフィルムが切れてしまったようで、境内の写真がほとんど撮れていません。その上、山特有の驟雨(しゅうう)もぱらついてきたり、堂内は撮影禁止ということで、拝観のほうに専念したのだと思います。

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 五大堂(手前)と毘沙門(びしゃもん)堂

 書院のほかに、境内の大きな建物は五大堂と毘沙門堂が目につきます。

 五大堂は五大明王不動明王を中心に降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉)を祀っています。
 毘沙門堂は仏法を守護する毘沙門天の立像を安置しています。

 寺の中心は金堂で、それに続いて宝塔院に多宝塔があり、多宝塔には五大虚空蔵菩薩が安置されていました。宝塔院の菩像像はいつも公開しているわけではないらしい(5月と10月の各3日間だけとのこと)ですが、参拝した日はたまたま公開日だったので拝観できました。拝観料は両方で100円でした。


 金堂には弁財天、大黒、如意輪観音の各鋳像。脇侍の日光・月光菩薩像と本尊の薬師如来立像。それに両界曼荼羅があります。高雄の曼荼羅は表面の剥離がひどいですが、現存する日本最古の曼荼羅なので国宝指定です。  

 宝塔院の五大虚空蔵菩薩像は多宝塔に横並びに座しています。ケヤキの一木彫りで、乾漆(かんしつ)が部分的に施されています。向かって右から、

  宝光虚空蔵菩薩……災厄を払い除いて人を救済する
  蓮華虚空蔵菩薩……煩悩の底から花を咲かせる
  法界虚空蔵菩薩……虚空の無限の広がりと知恵で人に平安を与える
  業用虚空蔵菩薩……宇宙の真知を得させる
  金剛虚空蔵菩薩……意志の力であらゆる迷妄を打ち砕く

 お寺ではこう説明されていました。仏像はそれぞれに色づけがなされています。真言宗は何でも「五」の数に別けるのが好きなんですね。

 

 御本尊の薬師如来は、紫がかった黒っぽいカヤの木彫の立像で、やはり国宝ですが、この仏像はすごいです。

 唇に紅が入った端正な顔立ちの仏像で、文化財的にも価値あるものだと思いますが、じっと見つめていると、隙がないためでしょうか、身体が熱くなり、しびれてきて、金縛り状態になりました。冗談でもなく、大昔の行者が修験道の呪文でもかけてあるのかと思ったぐらいです。なるならないは人によって違うようですが、今でも前に立つとたぶん同じ状態になるでしょう。呪文をかけてあるに違いありません。

 

 境内は樹林に包まれ、梢の青空に秋の白雲が閑かに流れていく様子が、いかにも俗世から離れた山寺といった感じで、厳粛なたたずまいの中にも、自由で、すがすがしい息吹が感じられました。

 そのあと地蔵堂にまわり、モミジの葉っぱを拾っていると、また雨がぱらついたり、晴れたり。山上のモミジはかなり色づいていますが、麓ではまだ10日ばかり早かったようです。

 

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 境内のおみくじと観光客

 神護寺のモミジも、見た目にはもう少し鮮やかだったと思うのですが、写真が退色しています。保管状態がわるいのかもしれません。

 

 余談

 それにしても、京都の拝観料は高くなっていますね~。
 昭和45年当時の神護寺の拝観料は、秋の観楓(かんぷう)入山券(40円)・金堂(40円)・多宝塔拝観料(40円)、合わせても120円と書いてありますが、現在は金堂の一般拝観料だけで600円、多宝塔特別拝観料(500円)を加えると、合計1,100円もするそうです。それに大師堂まで観るなら、さらに500円が加算されるとのこと。

 時代が違うので当たり前といえばそれまでですが、庶民の給料はそんなに上がっているでしょうか? それとも当時の拝観料が、お寺を維持するにはあまりにも安すぎたのかな?
 お寺や文化財にこんなことを言っては失礼にあたるかもしれませんが

 

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 坂道のお地蔵さん

 この地蔵尊は高雄山の上り下りの脇にあったように記憶しています。弘法大師硯石(すずりいし)というのもありました。

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 茶店  山を下りた清滝川の付近で休憩 団体のみなさんも

 

 槇尾山 西明寺


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 指月橋

 神護寺の麓から清滝川に沿って10分ほど遡ると朱塗りの指月橋があり、この橋を渡ると栂尾西明寺(さいみょうじ)です。

 山際の細い道を少し登るとモミジと小さな門があって、その門をくぐったところに御堂がひっそりと鎮まっています。 

 

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  西明寺本堂

 槙尾(まきのお)は、昔はこの地に槇(まき)が多かったため、そう呼ばれているとか。

 天長9年(832)に空海の弟子の知泉が、高雄山寺の別院として開いた寺といわれています。

 高雄(高尾神護寺とともに「三尾(さんび)」と称される槙尾西明寺栂尾高山寺も、もともとは高雄山寺の別院だったようで、高雄の文覚上人も槇尾に住したことがあり、上覚上人の弟子だった明恵上人も槙尾で一年間暮らしてから、後に栂尾高山寺に入ったとのことです。

 ここは神護寺ほど観光客が多くありません。本殿の前に秋は紅白の花が咲いて心和む寺です。境内に鐘楼があり、若い人たちが写真のポーズを撮っているあたりの紅葉はひときわ鮮やかでした。


 栂尾山 高山寺

 槇尾西明寺からさらに10分歩くと、栂尾(とがのお)高山寺に着きます。

 高山寺は、これも鬱蒼とした山林の中にあります。境内の道は杉木立が並んでいて、あちこちに御堂があります。緑と建物が調和してしっとりした風情があり、山の涼気に満ち満ちています。この高山寺明恵上人がいました。

 美しい茶室も見かけましたが、拝観料が高すぎたのでスルーです。

 

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 このモミジは帰途の清滝川河岸で撮ったものです。

 ほかのモミジはまだくすんだ感じで十分色づいていなかったのですが、このあたりのモミジは陽に映えて真っ赤に色づき、澄んで透明な色をしていました。

 同じ場所のモミジでも個体により日照によって色づきは異なります。ただ残念ながら、こちらも退色してしまっています。フジカラーにしろ、サクラカラーにしろ、初期のカラーフィルムはどうしても変色しやすいようです。1本で12枚しか撮れません。

 

 最後になりますが、紅葉の名所「三尾」の意味は高雄山の尾か、愛宕山の尾か…はっきり分からないのですが、白洲正子著『明恵上人』を読むと、愛宕山の尾のように書かれていました。

 でも、地図を見ると、高雄山のような気もするので、今はやっぱり分からないことにしておきます。





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