鄙乃里

地域から見た日本古代史

道 草

 気まぐれ随想録『赤とんぼ』


  道 草 イメージ 2

 
 雨続きだった天候が少し回復した。久しぶりで庭に出ると、垣根の外の路を何か黒いものが動いた気配がする。何かと思い覗いて見ると、紺色の制服を着た小学低学年の男の子が、こちらを見て「こんにちは」と頭を下げた。そこでこちらも、挨拶を返す。

 きょうは水曜日なので、学校が早く終わったのだろうか。「どこの子だろう?」ふだんあまり見かけない子だ。

 そのまま通りから電柱の脇を抜けて、田んぼと宅地を区切るコンクリートの上をてくてく東へ歩いて行ったが、家には帰らずに、途中の畦に下りて何かを探している。珍しい草か、虫でも見つけたのか。どうやら道草をしている。

 向こうへ行くんだから奥の家の子なのか。〈あゝ、そうか!子どもは成長が早いから、小学生になっているのに気がつかなかっただけなのかもしれない。数年前に引っ越してきた新宅ではあるが、それにしても、すぐ近所の子の顔を知らない今の現状は情けなく思われる。

 
 見ていると、自分の子ども時代を思い出した。昔は近所といえば誰もが知り合いで、大人から子供まで知らない人など一人もいなかった。

 子供は学校から帰ると、鞄(帆布製のランドセル)など畳の上に放り出して、みんなして遅くまで遊びまわったものである。夕方になると「ごはんよ!」という親の声がどこかから聞こえてきて、それでみんな遊びを止め、それぞれの家へ帰ったのだった。

 学校の宿題はたまにあったけれど、少なくとも自分の場合、小学校の間は予習・復習などの勉強をした憶えは全然なかった。第一、机も初めはリンゴ箱とかミカン箱で、そのうちちゃぶ台が代用になり、本物の学習机を買ってもらえたのは、たしか小5の時だったと思う。それも親がかなり無理をして買ってくれたように覚えている。机だけで本立てがなかったので、図工の時間に作った。それで絵を描いたり、夏休みの宿題をやったりはしたが、それでも中2まではほとんど勉強なるものはしなかったと思う。それで中学2年の時に成績ががた落ちになり、先生に叱られた。

 自宅のそばまで帰りながら、ひとりで道草を楽しんでいる男の子を見ていると、そのまま昔の自分の姿と重なってくる。自分も学校帰りの道草はよくしたものだ。ひどい場合は、どこを歩いているのか道が分からないときすらあった。今でもその癖が抜けていないのか、何をやるにも回り道ばかりで用件がはかどらないのはそのためかもしれない。

 今の生徒は集団下校なので、あまり寄り道はしないようだ。その代わりに…家の前で道草をしているのか? 向こうから挨拶までしてくれた。そんな登下校がいいのかわるいのか。世相の違いに昔を思い出しながら、ひとときの感慨に耽ったのだった。

 

 

 

 

                   

(平成30年12月11日の記事に補筆したものです)