鄙乃里

地域から見た日本古代史

クリスマスの思い出

 気まぐれ随想録『赤とんぼ』


  クリスマスの思い出  


 今年もクリスマスが近づいた。クリスマスの時期が来ると、子供の頃のようにワクワクする気持ちが、今でもまったくないわけではない。

 しかし自分の場合、大人になってからのクリスマスの楽しみというものは何も覚えていない。例えば人とはしゃいだり、飲んだり食べたり、遊んだりしたらしい記憶もぜんぜんない。楽しみはすべて子供時代に集約されている。といっても、別に変わったことではなく、どこの家庭でもふつうに行われていることなのだ。

 自分の子供の頃は、クリスマスの少し前から小さなもみの木を買ってきて、夜になると飾り付けを始める。押し入れから去年しまい込んだ飾り物セットを取り出して、てっぺんに星形を付け、金銀緑赤の玉を結び、モールをかけて終わりだ。あとは枝の所々に布団の綿を雪代わりにかけておけばいい。イブになると、会社帰りに父がクリスマスケーキを買ってきてくれる。そこそこの小型のケーキだが、みんなで切って分けると、これがおいしかった。淡いピンク色がかったクリームも、苺もスポンジも…全部。とくに甘いところを食べ終わったあとのスポンジが好きだった。
 
 そのあと何だかワクワクしながら床に就くが、朝早く目が覚めると、もう枕元にプレゼントが置いてある。幼児の頃でもなければサンタクロースが来たなどとは思わなかったが、本などにサンタクロースがよく出てくるので、そういうことにしておいた。枕元に置かれていたのは、たいていは少年雑誌か菓子のようなものである、そうはいってもクリスマスプレゼントは、骨折って日々の暮らしをやりくりしている両親からみると、かなり痛い余分な臨時出費であったには違いない。

 そのうち中学生ともなると、さすがに、クリスマスにプレゼントなどしてもらうことはなかったが、ある程度大きくなってからも、こちらから親に対してプレゼントをした憶えなどは一度もない。子供時代というものは自分の夢を追うばかりで、自己中心にしか物事を考えていないのである。もちろん、子供はそれでもいいのだが、親の苦労に対する思慮が足りないことだけはたしかだ。

 その点、今の子はやさしい。親の誕生日や母の日には何かしら、ちょっとしたものをプレゼントしたりする。そのほとんどが女の子だが。ただ、それは今の子が多少なりとも自分の小遣いを所持していることにもよる。自分の子供の頃は10円の手持ちもなかったので、親に対してプレゼントなど考えられもしなかったのである。また、それを買うような店も近所にはない。年間を通して自分の唯一の収入源は、親戚の伯父・叔母から貰ったお年玉だけなのだ。その当時で、百円・二百円のお年玉が、全部で千円ぐらいにはなったが、それもおうおうにして学費に消え去ることがあった。子供にできるとしたら、家の手伝いぐらいなものだったが、それすら、あまりしなかった。

 それでも、きびしい家計の中で両親は、こどもの日や、七夕や、海水浴といった季節毎の行事だけは欠かさずにしてくれた。クリスマスもその一つであり、現在に比べると何もかも乏しい時代ではあったが、それが、かえって子供時代のひとときを彩る楽しい思い出として、両親への感謝の念とともに心に残っている。

 

 

          

                   


(2018年12月14日の記事に若干、加筆です)