鄙乃里

地域から見た日本古代史

ゴーストタウン

 気まぐれ随想録『赤とんぼ』


  ゴーストタウン


 2003年6月24日のことだ。マンチェスター(Manchester)の町はトルネードにより壊滅的な打撃を受けた――そんな報道にかなり前に接したことがある。

 マンチェスターといっても、イングランド北西部にある大都市でもなければ、合衆国ニューハンプシャー州の都市でもない。これは、サウスダコタ州キングスベリー郡にある小さな町の話である。

 この町はもとはフェアビューと呼ばれていたが、この地に入植し、開拓した人の名前を取ってマンチェスターという町名になったそうだ。1881年にシカゴ・ノース・ウェスタン鉄道の開通にあわせて急速に発展した町だが、20世紀に入ると徐々に衰退し、それに大恐慌が追い打ちをかけ、1986年にシカゴ・ノース・ウェスタン鉄道が廃線となったあとは、ごく少数の居住者だけが住んでいたということである。

 そんなマンチェスターの町が今度は2003年にすさまじい竜巻に襲われて壊滅的な損害を受け、その後は再建されることもなく、ゴーストタウン化しつつあるというのだ。

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 マンチェスターは『大草原の小さな家』の作家・
ローラ・インガルス・ワイルダーの下の妹グレースが住んでいた町でもあった。ローラの両親が住んでいたデスメットの町から11㎞の地点にあり、グレースはその町の学校の先生になって赴任していたとき知り合った、農夫のダウと結婚して郊外の農場で暮らし、その地で生涯を終えたのだった。

 その農場には両親やローラ夫婦も何度か訪れている。1929年から1933年にかけての大恐慌ではグレースたちも経済的にそうとう追い詰められていたのだろう、ローラの娘で作家になっていたローズに無心の手紙をよこしている。そのころローラ一家はミズリ州のマンスフィールドにいたが、グレースはデスメットの家では姪のローズをとても可愛がっていた。当時はグレースたちに限らず、マンチェスター全体が、いや合衆国・世界全体が不況に陥っていたときだった。

 グレースが没したのは1941年である。グレースはそうした町の発展と衰退の時代を経験したひとりだったといえる。

 現在サウスダコタ州では、マンチェスターの町を完全に廃止し、そこにかつて存在した町の記念碑が建てられている。


 これはアメリカ合衆国の一州の小さな町の話ではあるが、なにか人の一生の悲哀を見るようでもあり、しみじみとした感慨を覚えずにはいられない。ゴーストタウンは決して対岸の火災ではない。日本においてもいつ起きるか分からない、きわめて近未来的な
問題ではないのか。