鄙乃里

地域から見た日本古代史

灯台・海猫・国引き神話 日御碕

 出雲大社から日御碕へ行くには路線バスで45分ぐらいかかりました。現在はその半分程度で行けるようです。

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 ところで、日御碕までのガタガタ道を吊革につかまって揺れていると、ただでもバスは苦手なので、たちまち気分がわるくなってきました。「これは途中下車でもしないと、終点まではとても無理だろう…」。思案にくれていると、窓際に座っていた女子中学生が立ち上がり「もうすぐ降りますから」と、席を譲ってくれたのでした。

 それで、なんとか気分も回復。その中学生も程なくして降車していきました。おそらくこちらの顔色や変調に気づいたので、気を遣わせないように早めに立ってくれたのだろうと思います。

 最近は認知機能が極端に低下し、たいていのことは忘れてしまうのですが、旅先で受けた小さな親切だけは、いつまでも覚えているものです。

 おかげで途中下車せずに、何とか日御碕のバス停まで行くことが出来ました。

 

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 日御碕の断崖と日本海

 日御碕は島根半島の最西端に突出する台地で、そのあたりはリアス海岸になっています。元々は隆起した台地が日本海の荒波に浸食されたと推測されます。

 『出雲国風土記』に「八穂尓支豆支(やほにきずき)の御埼」と記されているのがそれで、神話の国引き八束水臣津野命(やつかみずおみづのみこと)が綱で引いて出雲にくっつけたのだそうです。八束水臣津野命は出雲の自然神かもしれません。大国主命が須勢理姫(すせりひめ)と結婚しているなら、八束水臣津野命(淤美豆奴神)が大国主命祖父ということはないように思われます。

 海岸の隆起もしくは退潮、あるいは「八束水」から想像すると河川による土砂の堆積などで島と陸がくっついたのかもしれません(八束水大水の命?)。綱を引っ掛けたという三瓶山の側には斐伊川(ひいかわ)があり、大山の側には日野川がありますから。嵐や洪水の神さまなら素戔嗚尊と共通する要素がありそうです。

 出雲は昔「根之堅州国」と呼ばれていました。「島根」は「島」と「根」からなっている地名です。根(陸)の方にい州が出来て、島とつながったのかもしれません。現在も半島のつなぎ目の底の平坦地に主要な町が並んでいるのです。

 

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 荒礒の漁船だまり


 
近くの断崖の下には、入江に抱かれるように小さな船だまりがありました。


 岬の先端には明治36年(1903)設置、そして点灯の日御碕灯台があります。
 その少し南に日御碕神社があり、祭神は素戔嗚尊天照大御神。社殿は徳川3代将軍家光による造営だそうです。 天照大御神は「日いずるところ」と「日沈むところ」で伊勢に対応させているのかもしれません。素戔嗚尊は経島から移ってきたとのことです。

 

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 経島(ふみしま)

 神社の西側の海岸は、ウミネコの繁殖地で知られる経島です。目前ですが、渡島は禁止になっています。そのかわり島に向かい合って展望所があり、硬貨を入れるとウミネコが観察できる望遠鏡も備わっていて、踏み台はなんとビールの空箱でした。

 

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 灯台への道

 バス停から灯台へ向かう道は現在は整備されているかもしれませんが、人家の間の狭い通りを抜けていく、いかにも生活感ある道でした。その先に灯台が見えます。基部に小さな四角い建物があって、それと一体になった円い灯台が聳えています。


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 光源装置

 
日御碕灯台「世界の歴史灯台百選」に選定されている高さ43.65mの白亜の灯台で、光は40㎞先まで届くそうです。内部の螺旋階段はかなり急でした。

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 灯台直下の隆起海食台

 灯台の上から見下ろしたところ。人が立っているようです。

 泡立つ波が押し寄せたり引いたりしています。


 日御碕は晴れた日だと見晴らしがよく、日本海が遠望できるので、長く滞在しても見飽きることがありません。

 ただし、風雨の強い日や、寒い日は、用件があるとか言って早めに失礼したほうが賢明でしょう。

 

 このあとどこへ行ったのかな?
 忘れてしまった。
 

 

 


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