鄙乃里

地域から見た日本古代史

子ども時代のスケート遊び

 気まぐれ随想録『赤とんぼ』


  子ども時代のスケート遊び 

 

 終戦後も3、4歳の頃だったろうか、祖父母の2階に一家で間借りしていた頃の話である。

 その頃は子どもたちにとってまだまだ遊具の少ない時代だったが、それでもスケートという乗り物があった。スケートといっても、アイススケートや、ローラースケートではない。スケートボードを小型にしたような細長い板に、小さな車輪が後ろに2個と前に1個付いていて、前輪はハンドルと一体になっている。要するに子ども用の三輪車と同じ仕組みである。その板に片脚を乗せてハンドルを握り、もう一方の足で地面を蹴りながらカタカタと走らせていく。最近はあまり見かけないが、今でもあるだろう。キックスケーターと称するのかもしれない。

 それから、もう少し大型の板にペダルが付いていて、そのペダルを数回踏み込むと、足で蹴らなくても、しばらくは自動的に走る夢のようなスケートが登場してきた。近頃はやりの電動キックボードに似た遊具である。しかし、それは一般の家庭で買ってもらえるような代物ではなく、高価な遊具だったから、業者が商売にして時間制でレンタルしていた。個人でもしそんな遊具を所有できるとしたら、当時では医者の坊ちゃんぐらいなものだったと思う。それにもう少し年嵩にならないと、幼児が遊ぶにはまだちょっとムリで危険な遊具だったこともある。

 そんなわけで、たいていの子どもが遊んでいたのは、もっぱら最初のほうの簡単なスケート遊具である。こちらは軽くて小型なので、遊びに飽きたら、いつでも担いで帰ればいい。家の土間からそのまま表通りへ乗って出て、従兄弟たちと周辺を走りまわって遅くまで遊んだものである。

 そのうち遊び疲れて帰ると、祖母や母・叔母などが台所で、みんなでちらし寿司を作っていて、できたての寿司で子どもらが両掌で持つぐらいの大きなおにぎりを握ってくれた。牛蒡・人参・椎茸をささがきに削って甘く炊いた具材に小エビや豌豆などが混じり合い、炊きたてのご飯の温もりと、橙の香り、酢の味がきいて、子どもながらにも、それはおいしい食べ物だった。そうなるともうスケートのことはすっかり忘れ、上がりがまちに腰掛けて足をぶらぶらさせながら、従兄弟らと夢中でその寿司を頬張ったものである。それ以来、あんなおいしい寿司にはお目にかかったことがない。

 それもこれも、今はもう、みんな昔話になってしまった。しかし、スケート遊びのあの時代を思い起こすと、今でも祖母や母・叔母たちのなごやかな笑い声が、あの思い出の台所から聞こえてくるような気がするのである。