鄙乃里

地域から見た日本古代史

高炉がそびえる鉄の町 北九州市八幡

 初めて北九州市八幡区(現在の八幡西区・東区)へ行ったときは町全体が構内かと思うぐらい工場地帯が拡がっていました。

 鹿児島本線の線路を境に洞海湾(どうかいわん)沿いの東の方はほとんどが八幡製鐵(株)の敷地で八幡製鐵所と戸畑製鐵所に別れています。そして駅の南側に八幡の市街地が東西に長く延び、そこを西鉄路面電車が小倉方面へ走り、そのまた南に皿倉山(さらくらやま)が高く見える。そのころの八幡はまさに製鐵所と共に成長していた町でした。

 北九州五市(門司、小倉、戸畑、若松、八幡)が合併して新しい北九州市になったのは昭和38年2月10日のことです。

 


 高見神社

 洞海湾岸の小山という土地に祀られていた神功皇后ゆかりの高見大神宮が、官営八幡製鐵所敷地内に入ったため、明治三十一年豊山八幡宮遷座された。その後、大蔵の現高見町に本格的な社殿が造営され、八幡製鐵所の守護神として毎年、新年の安全祈願祭が挙行されていたとのことです。結婚式場にもなっています。

 


 高炉台公園

 八幡東区にある高炉台公園は、昭和26年(1951)開園。

 向こうに見える高炉は東田溶鉱炉だと思います。


 その高炉台公園には、昭和32年(1957)に溶鉱炉を模したモニュメントが建てられました。それがこの塔です。




 高炉台公園の当時の絵はがき     複製禁止

 塔の周囲には4体のブロンズ像が建ち、力強く、八幡の町を見守っていました。

 各方角に4体の像が在るのが分かります。

 しかし現在は、この塔は老朽化のため解体されて別のモニュメントが建っています。

 春にはツツジが咲き、眺めも抜群で、とてもよいところでした。今も45000本のツツジが楽しめるそうです


 当時の八幡製鐵所構内     (提供写真 複製禁止)

 手前の煙突はコークス炉ではないかと。向こうの溶鉱炉は洞岡か東田か不明。手前右はガスタンクでしょう。
 この頃、宿老の田中熊吉という人がいて「高炉の神様」と呼ばれていたんです。


 住宅地と皿倉山


 製鐵所の社宅でしょうか。 



 八幡西区 岸の浦あたりの夕景

 たぶん、こんな松の風景はもう見られないでしょう。



 八幡西区 黒崎の

 八幡の西の方にある黒崎は北九州市の福都と言われます。

 黒い煙突の下が元の北九州厚生年金病院。今は新しい九州病院へと変わっているらしいです。         
 ずっと向こうの高い建物が、たしか井筒屋八幡店。
 これも取り壊わされたとのこと。井筒屋黑﨑店は駅前に移っていたのですが、今は小倉店だけではないかと思います。時代は変わりますね。今まで続いたのが立派というか…。

 


 夜の黒崎

 黒崎の夜景。今の時代と比べたら全然寂しいですが、黒崎は当時の八幡では(今の北九州市内でも)かなりにぎやかな町なんです。

 街の中に記紀神武天皇ゆかりの岡田宮がありますね。後世になって現在地へ移動したものでしょうが。

 皿倉山頂からの夜景は新・日本三大夜景だそうです。