鄙乃里

地域から見た日本古代史

人間は常に迷っている


 金言銀句 

人間はつねに迷っている。
迷っているあいだは、つねに何かを求めているのである。

ゲーテ 『ファウスト』)


 どこかで読んだ言葉で出典を忘れていたが、『ファウスト』らしい。

 ファウスト博士は16世紀ドイツにおける半ば歴史上、半ば伝説上の人物らしく、一説ではマウルブロン修道院の一角に建つ塔に籠もって錬金術の実験を行っていたともいう。外観がいかにも謎めいた塔だから、そんな伝説が生まれたのかもしれない。

 たしかに、荒唐無稽で不毛な実験でも塔に籠もって研究をしている分にはいいのだが、錬金術とかいう妄想に過ぎないものを外界に持ち出して現実世界に挑戦しようとしたら滑稽だ。滑稽なだけでなく、人に害を与えるから、危険極まりない。しかし、21世紀の世界になっても残念ながら、そのような試みは絶えていない。過去の亡霊が暴力を持って現れ、傍若無人、我が物顔に振る舞って、世界を不幸と無用な混乱に陥れている。

 ゲーテファウストにはメフィストフェレスという悪魔の従者が現れて、すべてを可能にする力をファウストに与える代わりに、ファウストの死後には彼の魂をもらい受ける約束する。しかし、この世のあらゆる力、あらゆる知識を持ってもファウストの虚しさは消えない。そして、いよいよ最後の時になり、ファウストの魂がまさにメフィストフェレスに奪われようとする瞬間、彼の恋人グレートヒェンの天上の愛によって、彼の魂は神の許へと引き上げられるのである。

 こうした主題は文学作品でよく見かける。ダンテの『神曲』やドストエフスキーの『罪と罰』も然りである。いつも救いは女性の愛の導きによる。

 このように人間はファウストのように常に迷っている。迷わない人間などいない。今まで固く信じていても、次の瞬間にはもう疑念を抱いて迷っている。そんな不安定で頼りない生き物が人間なのである。命あるもので迷わないのは仏と蟻だけで、迷いが少ないのは幸せ者と世捨て人だろう。

 ただし、誰であれ迷っている間は諦めてはいない。つねに何かを求めているはずだ。もっと別の何か、今よりも確かなものを求めているのである。そこに人間の希望がある。つまり、人は迷う生き物ではあるが、迷いが真剣であるかぎり、迷いの中に救いが内在しているのである。

 それとは逆に、ムキになって他者を攻撃するばかりで、自分自身を疑うことも、反省することも知らない者は、次第に孤独で不幸な境涯に陥っていくのだろう。道理も根拠もない盲信により他者を責めるよりは、むしろ真実に迷って救いを求める人間でありたいものである。

 ※この金言銀句は筆者の好みでまとめたものです。