鄙乃里

地域から見た日本古代史

洛北に息づく静寂の里 寂光院・三千院

 洛北の大原の里へはJR京都駅、市営地下鉄国際会館駅京阪電車出町柳駅などから京都バスを利用して大原バスターミナルまで行けるようです。当時のバスは市営バスだったかもしれませんが、自分の場合は長時間のバス乗車は苦手なので、たぶん出町柳駅前あたりから乗車したのではないかと思います。

 

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 寂光院への道

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 入母屋の家がいかにも京都の洛外らしい雰囲気を感じさせてくれますが、今もあるのかどうか…は。

 

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 窯の店

 楽焼きの絵付け体験が楽しめます。

 

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 寂光院の書院

 写真の庵は前方に雪見灯籠が見えているので、正面は書院ではないかと思います。現在の書院は新築されてきれいですが、外観は当時と同じように見受けられますから。そうすると、左側に屋根の一部が見えているのが本堂でしょう。

 この本堂は平成12年(2000)5月9日に火災に遭って焼けたことがニュースでも報じられました。不慮の火災とあったので、たぶん、放火だったのではないでしょうか。

 平成17年には同じ外観で再建されたようです。同時に御本尊の六万体地蔵尊も焼損したらしいですが、こちらも修復されているとのことです。

 

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   雪見灯籠

 これは雪見灯籠のところですね。


 寂光院の歴史はずっと古いですが、文治元年(1185)年9月に建礼門院(徳子)が平家一門の菩提を弔うため庵を結んだ尼寺として知られ、後白河法皇が御幸されたという話が有名です。


 観光客の皆さんも建物や紅葉を熱心に見ておられました。

 

 

 

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 寂光院の茶室

 隠れ里にある落ち着いた雰囲気の茶室です。

 まだ紅葉の盛りには早かったのですが、この茶室あたりのモミジがいちばん色づいていたようです。


 三千院

 寂光院を見たあとは三千院に行きました。

 洛北の秋は冷え込むことが多く、この日もかなり冷え込んでいました。寺院へ向かう道筋にずらりと並んだ茶屋では細長い部屋に布団を掛けた炬燵が準備されていて、お客さんが暖を取って休憩しているのがガラス戸越しに見えます。もちろん有料でしょうが、「温かそうでいいな」と思いながら通り過ぎたのを覚えています。

 

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 聚碧園(しゅうへきえん)

 「客殿」から観賞されているところ。
 そんなに広い庭園ではありませんが、変わっています。

  

 三千院青蓮院・妙法院と並んで天台宗門跡寺院の一つで、伝教大師最澄比叡山円融坊を建てたのが始まりといわれています。その後の経緯は複雑ですが、皇族が住持となる門跡寺院になりました。正式な名称が三千院に定まったのは明治維新後のことだそうです。

 

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 寝殿から往生極楽院へ行く途中の庭だったと思います。向こうが寝殿
 渡り廊下がありました。

 

 本堂の往生極楽院は久安四年(1148))に建立された御堂で、『往生要集』の著者恵心僧都源信が父母の菩提のため姉の安養尼とともに建立したと伝えられ、またの名も恵心院と呼ばれています。

 平安時代から大原の地にあった御堂ですが、明治時代に三千院の境内に移築されたということです。

 御本尊は阿弥陀三尊像。ごく小さな御堂の中央に金色の阿弥陀如来と脇侍に勢至・観音両菩薩像が安置されていて、堂内は一転、極楽浄土に入ったような厳かな雰囲気を醸し出しています。これは阿弥陀如来の御来迎像とのことで、両脇の菩薩像はやや腰を浮かせたような珍しい正座姿勢をとっているのですが、それは、いつでも衆生済度に出かけられるようにしているとの説明がありました。
 また、勢至菩薩は合掌をし、観音菩薩が蓮台を持っているのは、いましも臨終の人を極楽浄土に迎え取るさまを表しているとのことです。

 平安時代は貴族の間に浄土思想が広まり始めた時代でもありました。万葉時代のように自然に心が開かれた明るく素朴な世界はなくなり、内面に救いを求めていった時代だったのでしょうか。曇った太陽よりも澄んだ月を求める「厭離穢土、欣求浄土」の時代の始まりだったのかもしれませんね。

 往生極楽院は一度訪れてみる価値はあると思います。

 

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 京都 大原 三千院

 デューク・エイセスの「女ひとり」のに上の有名なフレーズがあります。この歌詞中の「結城に塩瀬の素描の帯が」はこんな感じなんでしょうか?

 その二番は「栂尾 高山寺」で、前回の記事で書きました。3番は「嵐山 大覚寺」でまだ記事はありませんが、行くことは行ったので、この歌の場所は全部行っていることになります。

 どこかメランコリックな女性の着物姿がよく似合う寺院なのかもしれません。

 1970年当時の三千院の拝観料は150円、現在は700円 らしいです。


  余談
 今はどうか知らないのですが、京都の旅館は飛び込みの客を「一見さん」といって泊めてくれない宿が多かったです。部屋が空いているなら泊めてくれてもよさそうだし、食事の準備がなければ素泊まりでもいいといっても駄目なのです。お得意さんや予約客を大事にするためという伝統的な主張にも一理はありますが、だからといって、宿屋のポリシーとしては困っている旅人を無視していいとも思わないんですけどね。
 あれこれいっても、大切なのは信用と格式の問題ということなのでしょう。探したら泊めてくれるところもありました。どうしてもないときは映画館(スカラ座やピカデリー劇場など
でオールナイトを観て(というか、半分は眠って)朝まで過ごしたことなども、今はいい思い出です。
 でも、映画館から外へ出た早朝は、ふるえるほど寒かったですね。






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