鄙乃里

地域から見た日本古代史

1.真実の探求は前提に対する疑問から

 1.真実の探求は前提に対する疑問から

 『伊豫国風土記』にみられる古代「伊豫の湯」と代々の天皇並びに聖徳太子らの来訪記事に関しては、事実の探求よりも伝承が一人歩きしているため、『釈日本紀』引用の『伊豫国風土記逸文を根拠とした道後温泉に落ち着かざるを得なくなっている。

  伊豫温湯に関する研究者や学生の論文を読んでみても、文献・史料はよく渉猟されているが、事実においては見当違いとも思える論理が堂々巡りしていて、いずれも結論にまでたどり着いていないのが惜しまれる。はっきり言えば、途中で思考を放棄しているのに等しい。

 それはある意味、当然かもしれない。原因はすべて古代「伊豫の湯」が道後温泉であることを前提にして、論理を展開しているからだろう。そのため、たとえ途中で疑問が生じても、何とかつじつま合わせをしようと理論的・表面的に努力をするが、論究を進めるにしたがって、ますます事実との乖離が生じてくる。理由はいうまでもなく、最初から前提に対する疑問を、まったく抱いていないからである。

  前提というものは、先ず自分に可能なかぎり、あらゆる方面から検証・検討を行ってみて、それで自分がいいと納得すれば、研究を進めていけばいい。もし誤りに気付けば訂正すればいいしかし、いくら動かしがたい定説であっても、それまでの受け売りではいけないのである。

 もし前提が動かしようのない定説なら、もうそれ以上論ずる必要がないのであり、その中で何かを再確認しても仕方がない。その中で矛盾が発生しても、矛盾のほうがどこかで間違っていると考えるしかないから、もう、それ以上前へは進めない。しかし、それでも矛盾が心に残ると思えば、モヤモヤは、いつまでも晴れないはずである。 
  したがって、そんなときには思い切って、前提に対する発想の転換をしてみることが必要である。

 考えてみると、古代「伊豫の湯」が道後温泉であるかないかは、それほど明白な決定事項とは言い切れない古代「伊豫の湯」道後温泉説には、けっこう矛盾点も多い。これから、いくつか列挙してみよう。

 

 

f:id:verdawings:20190926215536j:plain

(つづく)